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梅雨時の旅は、心躍る。
重くたれ込めた雲、じわり汗ばむ湿気、そして断続的に降る雨……。そう、この季節、何日雨が続こうと、それは天の都合なのだ。今日の雨を「オレのせいじゃない」と言い切る快感は、「旅」の取材を始めて以来13年、「雨男」と言われ続けた者でなければわかるまい。
「東京から近い観光地」の代表選手・箱根に、アジサイの盛りを見に行く。安易な選択ではない。「東京で生まれ育って、1度も箱根に行ったことがない」という、我ながら不思議な現実を、この際断ち切りたいと思ったからだ。
アジサイ見物の足は、箱根登山鉄道だ。2両編成の電車に揺られて、さてどこの花をと思ったら、窓の外にアジサイが鈴なり! 何のことはない、鉄道沿線が1番の見所なのだった。来月7日まで、「夜のあじさい臨時電車」でライトアップしたアジサイを楽しんでと、車内広告にも書いてあるではないか。
振り出しの箱根湯本駅付近で、すでに満開。次の塔ノ沢駅近くに「あじさい寺」があると聞き、途中下車した。急な坂道を20分、額から汗が噴き出るころ、阿弥陀寺にたどり着いた。
「何もない山寺に名物を」とコツコツ植えた6000株が、静かに咲いている。紅、青、白……。華やかだが、何かが足りない。と、折から天の恵みだ。満開の花が雨に打たれ、見る見る色を増していく。
軒下で雨宿りをしていると、低く、りんとした弦の音が漏れてきた。堂内で、住職が若いカップルに琵琶を聞かせている。
「今のは聞いたことがないか。では、これならわかるね」
「……これ、知ってます。学校で習ったよね?」
「うん、オレも習った」
悲しく美しい「平曲」の調べが、境内のアジサイに染み込んでいく。「民謡上達祈願」の札に、「琵琶教えます」の張り紙。「あじさい寺」と聞いていたが、これでは「音楽寺」だ。
「子供のころは『音楽の賢ちゃん』と呼ばれてました。学生時代はロックバンドもやった。住職が音楽好きだと、寺には同好の士が集うのですよ」と水野賢世住職(59)。琵琶を始めたのは去年の秋だが、「自分でも驚くほどの上達ぶり」という。
「1000人の前で説教は平気だが、100人を前に琵琶を奏すのは緊張しますね。人間、これでいいということはない。何歳になっても新しいものに挑戦です」
カップルが正座のまま、「うんうん」とうなずいた。
塔ノ沢から大平台へ。スイッチバックを繰り返しながら、電車は急こう配を登っていく。細かな雨は霧に変わり、1つ駅を過ぎるごとに、花が見えにくくなる。終点の強羅駅で新製品「アジサイソフト」を見つけたが、霧に追われて花の旅を急ぐ。箱根湿生花園で高山植物を探し、箱根ガラスの森美術館の庭でアジサイと再会。4時過ぎには、山はすっぽり霧に包まれた。

翌朝、強羅近くの温泉宿で目を覚ますと、外は一面の霧。濃いミルク色に包まれ、何も見えない。こんなはずではと思いつつ、旅の仕上げの観光名所、大涌谷へ向かった。
箱根の最高峰、神山の中腹にある噴火口跡。今なお噴煙立ち上る“硫黄地獄”の上をロープウェイで渡っていく。2本のケーブルに支えられた新型車両は快適だが、視界は限りなくゼロに近い。何も見えず、何も聞こえず、ただ硫黄のにおいが立ち込める乳白色の世界を空中散歩……。どのくらい時が過ぎたか、ふいに目の前が開け、対向車両が姿を現した。思わず見知らぬ乗客と笑顔を交わしあった。
硫黄泉でゆでた大涌谷名物「黒タマゴ」を食べながら、初めての箱根の旅を振り返った。正直に道中の土産話をしたら、こう言われるに違いない。
「箱根の山を越えたら、雨男が霧男に変身した」
(長井 好弘記者)
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