|
第一回
運命の一瞬、東郷ターン
~日本海海戦の真実~ |
|
松平定知 アナウンサー |
|
番組概要
|
|
その時:1905年5月27日午後2時5分 |
|
出来事:東郷平八郎、敵前大回頭を決断 |
|
日露戦争の勝敗を大きく左右した、日本連合艦
隊とロシアバルチック艦隊の日本海海戦。この戦いで連合艦隊司令長官・東郷平八郎は敵前で150度ターンするという常識はずれの戦法を実施、奇跡的な利を収めた。この勝利は世界中にとどろき、「東郷ターン」は世界の海戦史に刻まれた。なぜ日本艦隊はいちかばちかの危険な戦法に賭けたのか。東郷の指揮官としての苦悩や決断を通じて、世界の大国ロシアに対し、必死になって立ち向かう新興国日本の姿を描く。 |
|
番組の内容について
|
バルチック艦隊のフィルム映像
日本に向けて航海中の物と思われます。NHK映像部所蔵。
艦隊の再現CG
戦艦三笠など4隻の主力はイギリスで同じ設計図を基に作られました。その設計図をもとにコンピュータグラフィックを作成して、動きを再現しました。動きは連合艦隊の「戦闘詳報」や当時の乗組員の証言、ロシア側の乗組員の証言などから推測したものです。ただし、実際の船と船の間隔や、ターンのスピードはかなり
誇張してあります。実際通りに作ると間隔が長すぎたり、ターンに2分以上かかったりするからです。
船の動きは神戸商船大学の定兼教授にアドバイスをいただきました。砲撃のやり方(砲身が交互になる等)等は三笠保存会と元防衛大学教授(海戦史)の平間先生にアドバイスをいただきました。
サンクト・ペテルブルグについて
ロシア第2の都市。人口500万人。モスクワの西北西、フィンランド湾の一番奥に位置します。ピヨートル大帝がロシアの基礎を築いたとき、ここはバルト海に通じる重要な拠点だった為、首都になりました。
東郷のイギリス留学について
東郷の留学先は複数です。まずケンブリッジ大学で英語と理数系の基礎を学び、ついでテームズ川の下流にある商船学校(ウースター)で操船訓練をうけました。全ての教科を終えた東郷は、「ハンプシャー」という帆船で世界一周にもでました。7年後に帰国するときには、日本が英国に発注した軍艦「比叡」に乗って帰った来ました。東郷の留学中の日記は、東郷神社に展示されています。
東郷神社 東京都渋谷区神宮前1-5-3
JR原宿駅から徒歩5分
03-3402-3591
戦艦三笠について
三笠は、英国ヴィッカース造船所で明治35年に完成しました。現在横須賀市の三笠公園にて一般公開しています。
JR、京浜急行の横須賀駅からバス10分。
神奈川県横須賀市稲岡町82-9
問い合わせ先:記念艦三笠0468-22-5225
バルチック艦隊について
バルチック艦隊は、その名の通りバルト海の制海権を守る艦隊です。殆どがロシアで作られた船で、武装はドイツのクルップ社の物を積んだ物が多いです。バルチック艦隊は大きく2つに分かれ、先発した主力と後発の援軍がいます。当時主力の戦艦はパナマ運河を通れないため、アフリカの南を回りました。援軍の戦艦
は運河を通って合流し、日本海を目指しました。
丁字戦法について
丁字戦法は「T字戦法」とも書かれていますが、連合艦隊戦策には「丁」となっている のでそれにならいました。丁字戦法の誕生についての経緯は、山屋他人の評伝と、野村氏、平間氏の意見によって紹介しました。
バルチック艦隊のコース予測について
番組では津軽海峡と対馬海峡を紹介しています。海峡としてはもう一つ、宗谷海峡もあるのですが、霧や海峡の状況を考えると実質無理だという事です。極秘海戦史にも、この二つが問題として取り上げられ、津軽海峡に敵が来た場合の作戦も記されています。
密封命令について
密封命令とは、開封した時点で有効となる命令書です。その開封は予め期日が指定されるか、指令長官の指示で開封します。その内容の詳細が分かったのは、「極秘明治三十七八年海戦史」の発見によってでした。
極秘明治三十七八年海戦史について
日露戦争後約10年の歳月をかけて完成した戦記。全150巻の内容は、戦闘詳報などをもとに日露戦争中の海戦について網羅した物。昭和20年の終戦の時に他の極秘文書とともに焼却処分された。しかし明治天皇に献上された一組が残った。戦後宮内庁から 様々な書物とともに防衛庁に返却され、当時図書館に勤めていた野村実さんによって発見された。一般公開されている。
防衛庁図書館所蔵 東京都目黒区中目黒2-2-1
JR恵比寿駅から徒歩8分
三笠から大本営に発した電報について
信濃丸からの電文「敵艦隊見ゆ」はよく「敵艦見ゆ」、同じく「敵艦隊見ゆとの警報・・」は「敵艦見ゆとの警報・・・」と記されますが、正しくは敵艦隊です。
沖ノ島について
沖ノ島は古代から朝鮮半島と九州を結ぶ交易ルートの中継地点でした。島全体が宗
像(むなかた)大社の境内となっており、上陸には神社の許可とみそぎ(海水につかる事)が必要です。福岡市内から自動車で1時間の玄海町には本殿があり、日本海海戦当日の目撃談を綴った日誌が残されています。沖ノ島へは船で約1時間30分です。
宗像大社 0940-62-1311
日本海海戦の記録について
時間や各艦隊の行動、砲撃の命中などについては「極秘明治三十七八年海戦史」を参照しました。またデッキでの東郷の決断の話は、三笠砲術長だった安保清種氏の「銃後独話」など回顧録によっています。
日本海海戦の油絵について
日本海海戦に絵師として乗り込んだ東条鉦太郎の絵画で「オスラビア沈没」です。
三笠保存会所有。
|