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第147回
板垣死すとも、自由は死せず
~日本に国会を誕生させた不朽の名言~ |
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松平定知 アナウンサー |
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番組概要
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その時:明治15(1882)年4月6日 |
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出来事:板垣退助が「板垣死すとも、自由は死せず」の言葉を発する |
「板垣死すとも、自由は死せず!」明治のはじめ、自由民権運動の指導者?板垣退助が暴漢に襲われながらも発したこのひと言は、それまでの身分制度に服従していた一般民衆に、「自由」の貴重さを知らしめ、爆発的な「自由ブーム」を巻き起こした。「自由」があたりまえでなかった時代、板垣退助はまさに自由のカリスマであった。
官僚主導の政治を推し進める明治政府に対して板垣退助は、民衆が議員を選んで国を運営する議会制度の導入を訴えた。しかし当時の民衆は「開化未然」とあなどられ、とても国家の運営に関わらせることはできない、とみなされていた。板垣は、演説会や学校の開設、さらには「民権数え歌」を流行させるなど、民衆にわかりやすい方法で「自由」と「権利」を広めていく。これを警戒し、言論を弾圧する条例を矢継ぎ早に出す政府。「板垣死すとも自由は死なず」が発せられたのは、まさにその激しい暗闘が繰り広げられている矢先だった。
板垣のひと言は、なぜ人々の琴線に触れ、史上空前の「自由ブーム」を生み出したのか?あの手この手で「自由」へ民衆を導こうとする板垣退助と、それが民衆自身の願望と重なって一大ムーブメントとなっていく過程を通して、今改めて日本人にとって「自由」とは何なのか、その原点を探っていく。 |
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番組の内容について
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板垣退助肖像写真
毎日新聞情報センター 所蔵
板垣の肖像が用いられた百円札
戦後に発行された紙幣で、現在でも切手?古い紙幣を扱う店などで購入可能
若い頃の板垣退助写真
高知県立図書館 所蔵
J?Sミルの自由論の言葉
「真の自由は他人の幸福を奪わず、自分自身の幸福を追求することである。」
立志社の機関誌「海南新誌」の冒頭の言葉
「自由は土佐の山間より」
民権数え歌
歌っているのは、亡くなられましたが高知の芸者さんです。自由民権記念館所蔵の録音を用いています。
番組に使用した箇所は
「一つとせ、人の上には人ぞなき、自由にかわりはないからは、この人じゃもの」
「三つとせ、民権自由の世の中に、まだ目の覚めない人がある、この人じゃもの」
「高知近況」
国立国会図書館憲政資料室 所蔵
明治11年当時の高知の様子を記した政府密偵の報告書です
ひげの板垣退助写真
知立市歴史民族資料館 所蔵
「板垣死すとも、自由は死せず」という言葉について
この言葉の誕生については諸説ありますが、番組では、板垣が暴漢に襲われた際に発した言葉としています。その根拠としているのは、番組でも紹介していますが、襲撃現場に居合わせた政府密偵の報告書の記載です。そこには「板垣は東面して起ち、其左面より出血するとき、吾死するとも、自由は死せんとの言を吐露する」と記されてあり、この記録が政府側のもので、板垣を擁護したり美化したりする可能性の少ないものと判断し、信頼できる資料としました。なお、これについては高知市立自由民権記念館発行の板垣退助展図録に詳しく解説されてあります。
板垣退助の墓
東京?北品川にある品川神社の境内裏手にあります。自由に参詣?参観できます。
晩年の板垣退助写真
毎日新聞情報サービスセンター 所蔵
板垣退助の没年
大正8年7月16日 享年83(年齢はかぞえです)
板垣が生前に残した言葉(自由党が解散する際に、板垣が党員を前にして語ったものです)
「人は死んだら終わりだと言う、しかし私はそうは思わない、たとえ私の墓が、草に埋もれていても、志ある人々が私の墓を前にして、世の矛盾に怒り、それを糾さんと、世のために働いてくれるのなら、私の死は終わりではない。憂楽を共にしてきた、日本3500万の民衆のすべてが、自由と幸福を手に入れるまでの道のりは、まだ終わってはいないのだから。」
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
参考文献
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「自由党史」(上中下) 板垣退助 監修
岩波文庫
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「史伝板垣退助」 絲屋寿雄 著 清水書院
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「無形板垣退助」 平尾道雄 著 高知新聞社
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「図録板垣退助」 高知市立自由民権記念館 発行
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「図録立志社」 高知市立自由民権記念館 発行
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「図録常設展示の案内」 高知市立自由民権記念館 発行
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「土佐自由民権運動史」 外崎光広 著 高知市文化振興事業団 発行
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「板垣退助孤雲去りて」(上下) 三好徹 著
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