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第165回
平清盛 早すぎた革新
~平氏政権誕生のとき~ |
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松平定知 アナウンサー |
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番組概要
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その時:1179年11月20日(治承3年) |
出来事:平清盛、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉、院政を停止。初の武家政権のトップとして、海上帝国建設の第一歩をしるす。 |
今から八百年前、港町神戸の基礎を築いた男がいた。平清盛だ。「傲る平家は久しからず」と言われ傲慢な男として語り継がれる平清盛。しかしその実態は朝廷に代わる為政者として、鎌倉・室町・江戸と七百年に及ぶ武士の時代に先鞭をつけた「時代の変革者」でもあった。
清盛が権力を握る原動力は「海」にあった。律令の時代から築きあげられた「土地(=荘園)」を基盤とする天皇と貴族中心の旧来のシステムとは全く違う「海」を拠り所とする新しい国造りを目指したのである。清盛は、海賊行為をしていた瀬戸内海の水軍との間に協定を結び、海賊行為をやめさせる代わりに海賊たちを保護。土地に代わって海を通じた物流こそが国造りの活力になると考えたからである。清盛は、日宋貿易を強力に推進する。
治承3年、四百年近く続いた貴族による政治の腐敗・限界を悟った清盛は、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉、院政を停止、それまで貴族の警護役に過ぎなかった武士の存在を中央の政治を司るものとして認めさせた。それは旧体制からの「革命」ともいえる初の武家政権の誕生の「時」であった。
1181年、清盛は平氏の政治体制と対峙していた源氏(源頼朝)との争乱中、熱病で死す。そしてその4年後1185年3月、平家一門も瀬戸内の壇ノ浦に没していく。
番組では、源氏に滅ぼされた傲慢な武士として描かれる平清盛像を払拭し、古代から中世に至る激動の時代、貿易立国というあまりに早すぎた理念を実現しようとした政治家「平清盛」の栄華と挫折を描く |
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番組の内容について
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「平氏」か「平家」か
日本史教科書および日本史学会では一般的に「平氏」「平氏政権」として表記、使用されています。それに準じ、番組内でも同様の扱いとしました。
また「傲る平家は久しからず」などの慣用的な言い回し、そして「平家納経」などの固有名詞は「平家」として紹介しています。
●「公家」か「貴族」か
現在、公家といういい方は研究者などの間では一般には使われていません。
公家は貴族と表記、使用されることが多く、教科書でも「公家政治」とはいわず「貴族政治」と広く使われることが多く、番組内でもそれに準じています。
●楠・荒田町遺跡について(神戸市中央区楠町・兵庫区荒田町)
昨年夏、神戸大学病院の立体駐車場から出土、昨年12月にすでに現地説明会が終わり、現在は埋め戻されています。
詳細は兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所(078-531-7011)にお問い合わせ下さい。
●松平アナウンサーが冒頭リポートしている場所について
六波羅密寺 京都市東山区五条通大和大路上ル東 ℡075(561)6980
http://www.rokuhara.or.jp
平清盛像のほか空也像などの国宝や重要文化財を所蔵しています。
●番組内で紹介した映像(ヴィデオ)
平清盛 上下(1992刊)TBSヴィデオ260分
監督 工藤栄一 脚本 高田宏治 松本功
販売 ビクターエンターテイメント株式会社
その他
●厳島神社 清盛らが1168年に造営、現在の規模となった。
℡082(944)2020
●平家納経 広島 厳島神社に所蔵
清盛らが1164年に納経した。
※不定期に公開していますので、直接お問い合わせ下さい。
●蓮華王院(三十三間堂)清盛が1164年に造営した。
※拝観可能です
住所
京都市東山区三十三間堂廻町
TEL
075-525-0033
拝観時間 8:00~17:00
11/16-3/31 9:00~16:00
拝観料600円
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