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第185回
「関白」対「源氏長者」
~家康・秀吉 「姓」をめぐる知られざる攻防~ |
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松平定知 アナウンサー |
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番組概要
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その時:慶長8(1603)年2月12日 |
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出来事:家康が「源氏長者」に任ぜられる |
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名門貴族の養子となって「関白」の座を射止めた秀吉によって、家康は窮地に立たされた。国替え、出兵命令など秀吉の無理難題に忍従の日々を送る家康。彼が見つけた秀吉への対抗策は、「源氏」への改姓、そして官位を上げるという作戦だった。やがて家康は、「関白」に対抗する権威「源氏長者」へと近づいていく。「源氏長者」こそ、「征夷大将軍」と併せ持つことによって日本の国王としての地位を保証する伝統の権威だったのだ。家康はやがて、関白職を失った豊臣氏を滅ぼし、名実ともに武家としての天下を手中にする。一方で家康は「源氏長者」の権威によって、天皇家、朝廷を押さえ、江戸幕府の基盤を盤石なものにしてゆく。番組は、「源氏長者」という新しい視点から家康の天下取りを捉え直し、武力支配に代わる支配の正当性を「姓」に求めた家康の知られざる挑戦を描く。 |
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番組の内容について
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「源氏長者」とは何か?
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源氏長者とは有力貴族である源氏一門の中で朝廷から受ける官位が最も高い人物が天皇の任命によって就いた一門の長の役職。平安時代から続く。源氏の代表者として一門の官位昇進のカギを握った他、朝廷内で強い発言権を持った。
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元来「源氏長者」の地位には公家の源氏が就任したが、室町時代に将軍・足利義満が武家から初めて就任。家康は足利幕府以来、武家としてこの職に就き、それ以後徳川幕府崩壊まで徳川将軍が代々「源氏長者」の地位も兼務した。
■「源氏長者」は本当に家康を支えた権威と言えるのか?
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今回の番組は、ゲストとしてもお呼びした皇學館大学助教授、岡野友彦氏の解釈に基づいて、武家の棟梁「征夷大将軍」と公家の権威「源氏長者」を同一人物が握ることによって、将軍職だけでは不完全な支配権を完全なものにしたという視点から構成しています。
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「源氏長者」は元来名誉職的な役職。したがって「源氏長者」単体で政治的な実権を握れる訳ではありません。
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なお、「源氏長者」の研究は、まだ始まったばかりで定説はありません。詳しくお知りになりたい方は岡野友彦著「源氏と日本国王」(講談社現代新書)をご一読下さい。
■「姓」と「苗字」はどう違うのか?
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姓は天皇が上から与える形式をとる公的な名前。苗字はみずから私称する名前。
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姓は父系制的な血縁原理によって継承されるため、父系に血縁関係をたどる氏人はみな同姓。苗字は家という社会組織自体の名であり、血族の名ではない。
(中央大学・坂田聡著「日本の中世」12『村の戦争と平和』
中央公論社より)
■「源氏長者」の宣旨(朝廷からの命令書)は見られるのか?
・日光東照宮宝物館所蔵。公開はしていません。
■「公卿補任(くぎょうぶにん)」(古来の朝廷の高官の名簿)は閲覧出来るのか?
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今回の資料は京都府立総合資料館で撮影。申請すれば閲覧は可能。
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なお「国史大系」として刊行されており、図書館などで閲覧することも可能。
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秀吉の官位について
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「公卿補任」によれば、すでに秀吉は天正11年から従四位下として記録されていることになっていますが、近年の研究でこれは後年に偽造されたとされたもので、天正12年の小牧・長久手の戦いの段階では無位無官だったと解釈されています(池亨著・日本の時代史13「天下統一と朝鮮侵略」p.55
吉川弘文館)。今回の番組は、この最新の研究成果に則って秀吉を「無位無官」と表現しました。
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登場人物の言葉、エピソードなど
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「われまた秀吉と矛盾に及ばば、東西また戦(いくさ)起きて、人民多くほろび失われん。しからば、天下の人民のためにわが一命をちらさんはなんぼうゆゆしきことならずや。」
(秀吉の上洛命令を受けて上洛を決意したときの言葉。「徳川実記」より)
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「関東は年久しく北条に帰属せし土地なれば、新たに主を替えれば必ず一揆蜂起すべし。」(家康が国替えを命じられた頃の関東の様子。「徳川実記」より)
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「国を治めるは魚を煮るようなもの。突いて形を崩さぬがよい。」
(領国経営の極意を説いた家康の言葉。「武功雑記」より)
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「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」
(争いの絶えない現世を離れ、慈悲の世界を求めるという意味の仏教用語。家康が元服の頃からの座右の銘)
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「輝元に対していささかもって内府(ないふ)ご如才あるまじく候。」
(家康方から吉川広家らにあてた密書の文言。家康は自らの官職である内大臣を意味する「内府」という表現で輝元より高い地位にある事を示して、寝返りを迫った)
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「一戦に数万の凶徒を討ち滅ぼすこと、古今未曽有(みぞう)の武功といふべし。なんじ天下太平の政(まつりごと)を沙汰(さた)せらるべし。」
(草津陣を訪ねた朝廷の使者の言葉。「徳川実記」より)
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「天下が平和に治まるか乱れるかは、みな将軍の思いひとつである。将軍の心が正しければ世の人々の信頼は集まる。天下は天下のもの。先祖の道を守り治めれば、その繁栄は疑いもない。」
(家康の言葉。「武野燭談」より)
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