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第196回
実録ええじゃないか
~幕末ニッポンを動かした民衆パワー~ |
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松平定知 アナウンサー |
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番組概要
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その時:慶応3(1867)年12月9日 |
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出来事:王政復古のクーデターによって徳川幕府の廃絶が宣言された時 |
幕末の日本に突如沸き起こった謎の大騒動「ええじゃないか」。その目的や起源は長年謎とされてきた。しかし、近年の研究により、その謎が少しずつ解明されてきた。豊橋市で見つかった史料には、ええじゃないかの誕生の瞬間が詳細に記録されていた。また、今年見つかったええじゃないかの絵には踊りに興じた当時の民衆の表情が生き生きと描かれていた。更に、岩倉具視の伝記「岩倉公実記」には、ええじゃないかは岩倉をはじめとする討幕派の活動を助け、王政復古のクーデターを成功へ導いたことが記されていた。
番組では、様々な史料を基に、これまで謎とされてきた「ええじゃないか」の実像を探り、民衆パワーが幕末の政局に与えた大きな影響を描く。 |
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番組の内容について
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「ええじゃないか」とは何か?
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幕末の慶応3年から慶応4年にかけて、江戸から中国・四国までの広い範囲で発生した民衆のお祭り騒ぎ。もともとそれぞれの共同体にあった伝統的な祭礼(おかげ参り、御鍬(おくわ)祭りなど)に基づいて始まったとされています。したがって、その祭りの始まり方、御札(おふだ)の有無、御札の種類、おはやし、踊り、参拝の有無など、全国でその形態は様々です。またこうした宗教的な側面の他に、幕末の人民闘争の変型としての性格も指摘されています。今回の番組では、その一部として、主に東海道と京都市内の「ええじゃないか」にスポットを当てています。
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「ええじゃないか」という呼び名は、後年になって慶応3年の大騒動の総称として付けられたものです。もともと関西地方における祭りのおはやしから付けられたものであり、必ずしも全国で「ええじゃないか」というおはやしが歌われた訳ではありません。番組では、慶応3年の騒動の総称として「ええじゃないか」と表現しています。
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番組内で使用した映画について
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今回は再現の一部に映画「ええじゃないか」(1981・松竹・今村昌平監督作品)を使用しています。
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松竹㈱ビデオ事業室(0120-135-335)からVHSビデオとDVDが発売されています。
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スタジオでご紹介した御札「太神宮剣先札」について
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今回は、番組のために豊橋市美術博物館から特別にお借りしました。伊勢神宮内宮と外宮の御祓いです。
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御札は牟呂(むろ)八幡宮の神主だった森田家に伝わっていたものですが、松平アナウンサーがコメントしているように、これが慶応3年当時に降った御札かどうかは判りません。
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「御札(おふだ)」と「御祓(おはら)い」について
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伊勢神宮では御札のことを「御祓い」と呼んでおりますが、番組では便宜上「御札」に統一しました。
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なお、VTRの中で「外宮御祓い、すなわち伊勢神宮外宮の御札」とコメントしてお断りして
おります。
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牟呂村の御札降りを記述した「留記(とめき)」について
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牟呂八幡宮の神主・森田光尋(みつひろ)が記した記録で、現在は豊橋市美術博物館蔵。
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全国に先駆けて慶応3年7月14日に御札が降ったことが記録されており、研究者の間では、これが「ええじゃないか」の一連の御札降り騒動の起源と考えられています。
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吉田の御札降りの資料「東海道吉田宿惣町(そうまち)御かけの次第」
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吉田の祭での振る舞いぶりが記録されています。豊橋市美術博物館蔵。
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藤沢のお札降り祭を描いた絵「神仏御影降臨之景況」
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幕府の葬列、外国人への投石の仮装が祭の中で行われたことが描かれています。
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原本は個人蔵。今回は藤沢市文書館所蔵の複製を撮影させていただきました。
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新発見の「ええじゃないか」の絵
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今年8月に京都府宇治田原町の民家の蔵から発見されました。踊りに興じる京都の人々の姿が生き生きと描かれています。
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京都府立山城郷土博物館に保管されており、年末まで公開の予定です。
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詳しくは京都府立山城郷土資料館(京都府相楽郡山城町大字上狛小字千両岩 電話0774-86-5199)まで。
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今も踊られている「ええじゃないか」の踊りについて
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奈良市田原(たわら)地区で田原地区伝統芸能保存会が毎週一回の練習を続けて伝承しています。旧伊勢街道沿いの田原地区では、慶応3年におかげ踊りが流行し、伊勢神宮参拝が行われました。現在伝承されているのは、その時の踊りと考えられています。明治以降は中断され、踊られていませんでした。
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昭和3年、昭和天皇即位の御大典のお祝いに踊るため、慶応3年当時を知る古老が女学生に踊りと歌を教えて復活しましたが、その後再び消滅。昭和58年に保存会が結成され、関係者の記憶をもとに踊りが復元され、伝承されるようになりました。●登場人物の言葉、エピソードなど
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「留記」の記述について
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「慶応三年、七月十四日」
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「七つ時分、富吉(とみきち)通りかかりしに御祓(おはら)いを見る」
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「富吉甚(はなは)だうたがひけり」
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「その御祓(おはら)いにはススはつかぬか。おほかたススびたりけん」
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「富吉、トコナベ両人ともにいたくうたがひしために、かかる神罰のありしなり」
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「おそるべし、つつしむべし、かならずうたがふべからず」
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「岩倉公実記」の記述について
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「具視が西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(利通)、中岡慎太郎、坂本龍馬らと王政復古の大挙を図議(とぎ)するの時に於て、相互に往来すること頻繁にして、且つ、諸有志の士が具視本邸の門に出入りする者(は)また頗(すこぶ)る衆(おお)し」
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「ヨイジャナイカ、エイジャナイカの狂奔酔舞(きょうほんすいぶ)。けだし具視が挙動もこの喧閙(けんどう)のためにおおわれて、自然と人目に触るることを免れたるなり。幕府および会津桑名二藩の偵吏(ていり)が絶えてこれを知らざりしは、天助ありしによる」
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「坪井信良書簡」の記述について
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「終日徹夜、少しも止むことなく、歌声沸くがごとく、太鼓・拍子木の音雷のごとし」
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「かご脇まで踊りかかり大いに通路を妨ぐ。これを制するに、酔客のことなればなかなか聞き入れず」
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福地源一郎の記録「懐往事談」の記述について
・「この御札降りは、京都方のものが人心を騒擾(そうじょう)せしむるために施したる計略なりという」
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王政復古の大号令の中の一条
・「一、近年物価格別騰貴。いかんともすべからざる勢い。貧者ますます窘急(きんきゅう)に至り候」
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