|
第208回
日米攻防90日 国際軍縮を実現せよ!
ワシントン会議
全権
加藤友三郎の挑戦
|
|
松平定知 アナウンサー |
|
番組概要
|
|
その時:大正11(1922)年2月6日 |
|
出来事:ワシントン会議で史上初の国際海軍軍縮条約が調印される |
|
第一次大戦後の1921年、米?ワシントンで国際軍縮会議が開かれる。参加国のうち日米両国は当時、太平洋防備をめぐり緊張関係にあった。代表として会議に参加した海軍大臣?加藤友三郎は、日本を警戒し大幅な軍縮を迫る米と、これに反発し戦争も辞さないと主張する日本海軍強硬派の間で苦悩する。日米衝突を避け会議させるため加藤が胸に秘めていた意外な外交方針とは?防衛庁秘蔵の資料をもとに緊迫した日米外交の裏側を描く。 |
|
番組の内容について
|
◇「ワシントン会議」「ワシントン海軍軍縮条約」について
1921年11月12日から翌22年2月6日までアメリカ?ワシントンで開催された海軍軍縮および極東?太平洋問題に関する国際会議が、今回の題材となる「ワシントン会議」です。日?米?英のほか仏?伊?ポルトガル?オランダ?ベルギー?中国の9カ国が参加して行われました。この会議で締結された海軍軍縮をめぐる条約は通称「ワシントン海軍軍縮条約」と呼ばれ、主に米?英?日?仏?伊の5カ国間で海軍力の制限が話し合われ、主力艦比率を5:5:3:1.57:1.57とすることが取り決められました。ここで特に問題になったのが米英日3カ国間の主力艦比率を5:5:3に削減したいという米側の主張と、日本海軍の一部が当時唱えていた対米海軍力比率10:7維持の方針が真っ向から対立したことで、今回の番組はこの3国間でどのようなやりとりが行われ最終的に合意に至ったかに焦点をしぼって描いています。◇加藤友三郎の会議全権任命に反対する衆議院議員?尾崎行雄の言葉
「ご覧なさい。加藤海相の腰には(中略)人を殺す剣が下がっているではないか。現に米国では現役の軍人を全権にする日本の意思に非常に反感を持っている。これでどうしてこの重要な軍備縮小の目的が達せられよう」
(注:「加藤海相」=加藤友三郎は当時海軍大臣をつとめていた。)
1921年9月28日読売新聞に掲載された尾崎行雄のインタビュー記事より
◇アメリカを仮想敵国視する日本海軍の文書について
「最近諸種ノ関係(中略)ニヨリ利害衝突最大ナル競争国即チ仮想敵国ハ米国(以下略)」
これは海軍大学校の「大正4年乃至9年戦役海軍戦史付録第六編機密補輯」という資料中の「第七章 欧州大戦前後ニ於ケル帝国海軍々備ノ概況」に見られる文言です。この資料は海軍軍令部が手書本として一部のみを保管していたものを海軍大学が許可を得て一部だけ謄本写したもので、現在東京?目黒の防衛研究所図書館に保管されています。
◇ワシントン会議中に加藤友三郎が自分の意見を日本に送った伝言について
「国力ヲ涵養シ、外交手段ニ依リ戦争ヲ避クルコトガ、目下ノ時勢ニ於イテ国防ノ本義ナリト信ズ」
これは『加藤全権伝言』と呼ばれる資料で、会議中の11月27日、加藤が部下の堀悌吉海軍中佐に口述筆記させた後、日本に持ち帰らせたもので、会議における日本が取るべき軍縮方針について自らの率直な意見を開陳しています。原資料(ただし、原文は失われタイプ打ちしたもの)は防衛研究所図書館に保管されています。また、朝日新聞社から発行された『太平洋戦争への道 開戦外交史』の別巻?資料編で読むことができます。(P3)
◇「イギリスがアメリカの3倍近い海軍力をもっていた」「イギリスは第一次世界大戦で全艦艇の半分以上を失うという被害を受けた」という根拠は?
第一次大戦開戦時、イギリスは501隻(弩級戦艦?前弩級戦艦?巡洋戦艦?装甲巡洋艦?軽巡洋艦?巡洋艦?駆逐艦?潜水艦の総計)を保持し、アメリカは175隻でした。また大戦でのイギリスの艦艇損失数は325隻にのぼります。よってこのような表現をとりました。(参考:『死闘の海 第一次世界大戦海戦史』三野正洋 古清水政夫?著 光人社NF文庫)
◇会議での加藤友三郎の発言
「日本は米国の提案を促したる高遠の理想に共鳴せざるをえず。ゆえに日本は欣然右提案を主義上受諾し、敢然、海軍軍備の大々的削減に着手するの用意あり」
「およそ一国民は自国の安寧に必要なる軍備を保有せざるべからざるは、一般に容認せらるる所なるべし。(中略)右の必要に鑑み、日本は(中略)些少の修正案を提出することとなるべきか」
この原文は外務省外交史料館所蔵の、「ワシントン会議全権発内田外務大臣宛11月17日着電報会議第26号加藤全権ノ演説」からの抜粋です。外務省?編『日本外交文書 ワシントン会議?上』(1978)で読むことが可能です。(P262)
◇海軍強硬派の電報について
「海軍委員の見るところによれば、彼らの意思は明らかに東洋における帝国海軍の優位を奪わんとするにあり」
「国家の正当なる自衛権を棄つると否とはまさに、この際の決心如何に存す。」
「談判は今や戦闘最後の5分間の危機にあり」
この原文は防衛研究所図書館の加藤寛治中将より次官?次長宛大正12年12月4日発電第52,53号電報にあります。
◇海軍強硬派の会議脱退発言について
「日本は対英米7割を獲得できない限り、断然、会議を脱退する」
『加藤寛治大将傳』P750のエピソードおよび『日本外交文書 ワシントン会議』
P307~8から引用しました。
◇追いつめられた加藤が側近にもらした心情について
「これはいかん、あるいは旗を巻いて帰らなければならんようになるかもしれない」
幣原喜重郎?著『外交五十年』(読売新聞社)P59に書かれたエピソード(加藤が幣原に思わず弱音を吐いたというエピソード)から引用しました。
◇アメリカの新聞に掲載された会議における日本の態度を諷刺した漫画について
ニューヨーク?トリビューン紙に1921年12月3日に掲載されたものです。
◇会議中、加藤が海軍強硬派に対し対米海軍力7割維持主張の根拠を問いつめたエピソードについて
新井達夫?著『加藤友三郎』(時事通信社)に掲載されたエピソード(P65)を典拠としました。
◇会議中に加藤が述べた国防論について(『国防は軍人の専有物にあらず』云々)
「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人のみにてなしうべきものにあらず。(中略)民間工業力を発展せしめ、貿易を奨励し、真に国力を充実するにあらずんば、如何に軍備の充実あるも活用するあたわず」
原文は『加藤全権伝言』から引用しました。(『加藤全権伝言』については前記参照)
◇東郷平八郎元帥が加藤の立場を理解し、支持したエピソードについて
新井達夫?著『加藤友三郎』(時事通信社)に掲載されたエピソード(P80~82)を主なる典拠とし、東郷が海軍首脳会議の席上で強硬派をたしなめたエピソード(「責任ある海軍大臣が6割でよしと思うならば大臣の言うとおりでよろしい」云々)は『元帥東郷平八郎候に関する秘話』(防衛研究所図書館所蔵)、東郷の加藤へのメッセージ(「全権の苦衷と努力に対して全幅の同情を表すを禁ずるを得ず」)は井出次官から加藤友三郎宛の電報?大正10年12月1日着電(防衛研究所図書館所蔵)によりました。
◇加藤と米国務長官ヒューズの直接交渉および加藤のアメリカへの要請について
大正10年12月5~9日着電報(ワシントン会議全権より内田外務大臣宛)によりました。
(外務省外交史料館所蔵 『日本外交文書 ワシントン会議』上 P297~306)
◇33分50秒ころのナレーションで、「逆手に取った」っを“ぎゃくて”と読んでいたが、“さかて”ではないのか?
広辞苑には両方の読みがあり、どちらでもよいとされております。
◇海軍軍人ウィリアム?プラットの書簡について
「私がお会いできた人物の中で、加藤男爵は最も立派で偉大な紳士の一人だと、会議中から確信するようになりました。日本の国政が彼の掌中にある限り、日米間に平和友好的に解決できない問題はないと考えたのです」
1923年8月、加藤の死を知ったアメリカの海軍少将ウイリアム?プラットは、ワシントン会議で交渉した日本海軍の野村吉三郎に手紙を送りました。その手紙は現在、米海軍歴史資料館に所蔵されています。
◇加藤の残した警告について
「今回の軍備制限は永久的のものと思うて安心することあるべからず」
『加藤全権伝言』からとりました。(『加藤全権伝言』については前記参照)
◇加藤友三郎を知るには?
小説家の故?豊田穣さんが『蒼茫の海 ~軍縮の父 提督加藤友三郎の生涯~』という伝記小説を書いておられます。この小説には加藤の生涯やワシントン会議での活躍ぶりが描かれています。ただし単行本では1983年にプレジデント社から、文庫では1989年に集英社文庫から出ていますが、現在はどちらも絶版です。
◇加藤友三郎ゆかりの地は?
加藤の生地?広島県広島市の比治山公園に加藤友三郎の銅像の台座が残されています。銅像本体は戦時中に供出されてしまったため現在は残っていませんが、市による再建計画が進んでいるようです。また加藤友三郎の墓は東京の青山墓地にあります。
番組中に登場した資料について
参考文献
『両大戦間の日米関係』
(麻田貞雄?著 東京大学出版会)
『元帥?加藤友三郎傳』 (加藤元帥傳記編纂委員会?編)
(非売品)
『加藤友三郎』
(新井達夫?著 時事通信社)
『外交五十年』
(幣原喜重郎?著 読売新聞社)
『幣原喜重郎』
(幣原平和財団?編)
『加藤寛治大将傳』
(加藤寛治大将伝記編纂会?編)
『山梨勝之進先生遺芳録』(山梨勝之進先生記念出版委員会?編)
『歴史と名将』
(山梨勝之進?著 毎日新聞社)
『野村吉三郎』
(木場浩介?著 野村吉三郎伝記刊行会)
『日本海軍と太平洋戦争』(工藤美知尋?著 南窓社)
『日本海軍の興亡』
(半藤一利?著 PHP文庫)
『日本外交史辞典』
(外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会?編 山川出版社)
『同志社法学』第49巻第3号 「ワシントン海軍軍縮の政治過程」(麻田貞雄)(同志社大学紀要論文)
|