その時歴史が動いたDVD第221回 民を救った義士たちの物語 ~宝暦の治水・薩摩藩士の苦闘~日本NHK纪录片 

 

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その時歴史が動いた  DVD

第221回
民を救った義士たちの物語
~宝暦の治水・薩摩藩士の苦闘~ 

松平定知 アナウンサー
番組概要
その時:宝暦5(1755)年5月22日
出来事:濃尾平野で日本最大級の治水工事が完成
 天下太平の江戸中期、徳川幕府と薩摩藩の間に知られざる戦いがあった。宝暦4(1754)年正月、突如薩摩に下された濃尾平野の大治水工事命令。薩摩藩士たちの多くが幕府への抗議を主張する中、薩摩藩家老・平田靱負(ひらた・ゆきえ)はあえてこの難事業を引き受ける。現場に赴いた藩士たちを待っていたのは過酷な労働環境、そして横暴な幕府の監督官たち。病気や事故、幕府に対する抗議の切腹で、80名以上の薩摩藩士たちが犠牲になる。一年半にわたる苦闘のすえ工事は完成するが、その直後、家老・平田は武士として最後の決断を下す-。
 歴史の影に埋もれた悲劇の宝暦治水。日本最大級の治水工事を実現した薩摩藩士たちの苦闘の全貌を描く。
番組の内容について
 Q:「宝暦」の読み方は、「ほうりゃく」ではなく「ほうれき」ではないか?
A:「ほうれき」「ほうりゃく」どちらも正しい読み方です。今回は、『国史大辞典』(吉川弘文館)など専門資料に記載されている「ほうりゃく」で統一いたしました。
なお、広辞苑や平凡社百科事典では、「ほうれき」を中心に掲載しております。

Q:「その時」として、工事が完成した日を5月22日としているが、日付が違うのではないか?
A:宝暦の治水の完成の区切りとなる日付をどこに置くかは、工事そのものが終了した日や、幕府が検分を終了し完成を認めた日などの考え方があります。また、薩摩藩士たちが帰国の途についた後、平田靱負が切腹した日(5月25日)をひとつの区切りと見る考え方もあります。しかし今回は、幕府の命令で工事がおこなわれているという前提から考え、幕府が完成を認めた5月22日を工事完成の日としております。

Q:「濃尾の治水工事に関する幕府命令」の典拠は?
A:東京大学史料編纂所 所蔵・薩藩旧記雑録の巻106 通し番号1332にあります。原文は
「濃州・勢州・尾州川々御普請御手伝い仰せつけられ候間、その趣存ぜらる可く候、尤もこの節参府に及ばず候 、恐々謹言。」です。ただし原資料は国宝指定になっているため、見るのは困難になっております。印刷した原文であれば、『鹿児島県史料・旧記雑録追録 5巻』で見ることができます。

Q:「お手伝い普請」とはどのようなものだったのですか?
A:幕府は外様藩の軍事・経済力を抑える巧妙な手段として、全国の大名にいろいろな工事の手伝いを命じてきました。この命令を受けた大名は、工事に要する資金と人員を供出しなければなりませんでした。お手伝い普請の対象となった箇所は幕府の直轄領や幕府に所属する建物なので、たとえば名古屋城築城。日光東照宮の造営、上野の寛永寺の建設などがこれにあたります。このため工事自体のイニシアティブは幕府に握られ、諸大名は下働きの立場として動かなければなりませんでした。これが「お手伝い普請」の制度で、木曽三川の工事も美濃の国の一部が直轄領だったため、この方式での工事が計画されたと思われます。そして加賀に続く第二の領地規模を誇る薩摩藩が、この大工事を請け負うことになったのです。

Q:薩摩藩評定での平田と家臣たちの言葉の典拠は?
A:薩摩藩士たちが幕令に強硬に反対し、評定で「幕府と一戦交えるべし」という強硬論まで出た、というエピソードは、公式文書の形では残されておりませんがさまざまな逸話の形で残されています。この番組では特に、宝暦治水の最も信頼すべき研究書である伊藤信氏『宝暦治水と薩摩藩士』に紹介された逸話をもとに家臣たちの言葉を再現しました。

Q:地図CGの川の位置が違うのでは?また、揖斐川と交わっているのは木曽川ではなく長良川では?
A:この地図CGは『薩摩藩御手伝普請目論見絵図』と呼ばれる、宝暦当時の地図(『海津町史』・史料編1)などをもとに作成したものです。当時は川の流れが現在とは大きく異なっており、長良川は木曽川と合流し、その後、揖斐川と合流しておりました。このため、番組内の地図CGでも揖斐川と木曽川が、現在油島と呼ばれる地点で交わっていることになっております。その後、明治時代初期に再び大治水工事が行われ、現在のような川筋になりました。

Q:幕府役人の態度を報告した薩摩藩士の手紙の典拠は?
A:東京大学史料編纂所 所蔵・薩藩旧記雑録の巻108 通し番号1488にあります。(伊庭貞起・新納久品連署首尾書 宝暦4年)ただし原資料は国宝指定になっているため、見るのは困難になっております。印刷した原文であれば、『鹿児島県史料・旧記雑録追録 5巻』で見ることができます。

Q:切腹した薩摩藩士・永吉惣兵衛が埋葬され、その文書が残る海蔵寺について。
A:海蔵寺は三重県・桑名市にある曹洞宗のお寺です。永吉のほかにも工事中に亡くなった薩摩藩士24名(平田靱負を含む)がまつられており、永吉のほかにも何人かの埋葬文書が残っています。美濃で亡くなった永吉らが少し離れたこのお寺に埋葬された理由は、このお寺が当時の武家の宗教であった曹洞宗の寺であったためではないか、といわれています。現在、文書の本物は一般公開していません。(今回は特別にご許可を得た上で撮影しました。)文書の写しであれば見ることができます。また番組内に何度も登場する平田靱負像はこちらに実際に所蔵されております。
海蔵寺の住所は 〒551-0073 三重県桑名市北寺町10 です。
(アクセスは、近鉄桑名駅から徒歩8分です。)

Q:工事現場で病死者が多数あったことを伝える手紙の典拠は?
A:これは宝暦治水の際、幕府側の水奉行を勤めた高木新兵衛という武士の公用日記『蒼海記』の中に登場する薩摩藩士・佐久間源太夫の書簡です。『蒼海記』の現物は名古屋大学図書館にあります。印刷した原文であれば『岐阜県史 史料篇 近世5』で見ることができます。

Q:平田が遺言を残したエピソードについて。
A:平田が美濃を訪れた薩摩藩の家臣に自らの刀を渡し「これを持ち帰って自分の墓に埋めてくれ。本日をもって平田靱負の命日とする」と言ったというエピソードは、鹿児島の平田家に残されたエピソードです。坂口達夫氏が薩摩義士について書かれた『かごしま文庫 宝暦治水・薩摩義士』(春苑堂出版)でも紹介されています。

Q:近江屋休兵衛宛ての平田の書簡について。
A:この書簡は現在その写しが岐阜県大垣市立図書館に所蔵されております。近江屋休兵衛という人物に平田が借金の利息を確認した手紙と言われています。またテロップの文字が「近江屋休兵衛」となっておりますが、これが原文そのままの表現にしてあります。

Q:幕府の検分報告の典拠は?
A:「御普請結構に出来いたし候」という幕府の検分報告は、平田自身が薩摩藩に工事の完成を報告した普請首尾書に引用されており、原文は東京大学史料編纂所の『薩藩旧記雑録』の巻109 通し番号1597に見られます。ただしこの史料は現在、国宝指定のため見ることは困難です。印刷した原文であれば、『鹿児島県史料・旧記雑録追録 5巻』で見ることができます。

Q:平田の死を報告する薩摩藩の記録について
A:原文は東京大学史料編纂所の『薩藩旧記雑録』の巻106通し番号1331に見られます。(「記事 「幕府、濃勢尾諸川治水助役ヲ下命ス、平田正輔等コレニ当ル」)原文は「…五月二十四日嘔血数、二十五日死…」。ただし、この史料は現在国宝指定のため見ることは困難です。印刷した原文であれば、『鹿児島県史料・旧記雑録追録 5巻』で見ることができます。

Q:『宝暦治水之碑』の由来について。また碑はどこにありますか?
A:『宝暦治水之碑』は三重県多度村(現在は桑名市)の豪農・西田喜兵衛が明治33(1900)年に建立したものです。西田家には薩摩藩士の苦闘を伝える史料が代々伝えられていたといいますが、明治9年伊勢の国に農民一揆が起こったときに燃えてしまいました。そこで西田氏は「ご先祖に申し訳ないことをした」と、薩摩義士の顕彰活動に力を入れるようになり、その一環としてこの碑が建てられることになったのです。この石碑は現在、長良川と揖斐川が合流する岐阜県海津市の油島に残っております。

Q:平田靱負の辞世の歌について
A:平田の辞世は
「住み慣れし 里も今さら 名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」
という歌で、その大意は「住み慣れた大牧の里、何と名残り惜しく立ち去りがたいことであろうか」です。

Q:宝暦治水ゆかりの地について
A:①岐阜県海津市の油島に工事最大の難関油島の仕切り堰(現在は『千本松原』と呼ばれています)、宝暦治水之碑、平田と薩摩藩士の業績を称えて建てられた治水神社が残っています。千本松原までは、名古屋から近鉄で桑名まで。桑名から近鉄養老線で多度または石津まで。多度からはタクシーで約8分。石津からバスで約12分です。
車を利用される場合は東名阪自動道利用で弥富I.C.より約10分。桑名I.C.より約15分です。番組の最後でもご紹介した通り、治水神社では毎年4月25日に春期例大祭と呼ばれる薩摩義士を称える祭りが行われております。
②番組最後にも登場した薩摩義士役館跡(平田靱負終焉の地)は岐阜県養老町にあります。
③平田靱負の墓は京都市伏見区鷹匠町4番地の真言宗・大黒寺にあります。
 

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