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第235回
幕末土佐勤王党
不滅の志
~若者たちは変革に命を賭けた~ |
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松平定知 アナウンサー |
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番組概要
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その時:慶応2年(1866)年1月22日 |
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出来事:薩長同盟(盟約)が締結される |
幕末の転換点となった薩長同盟。その条項を保証する文書を、土佐脱藩浪人・坂本龍馬は記している。薩長二大雄藩の秘密交渉という重大事に際し、後ろ盾のない一介の浪人・龍馬が、なぜこれほど重要な役割を担うことができたのか?
維新第三の勢力・土佐藩。その中心にいたのは、土佐藩内の厳しい身分制度に苦しみ、新時代を渇望した下級武士たち、武市半平太と土佐勤王党の人々だった。彼らの多くは、故郷・土佐藩から弾圧を受け、または薩摩と長州の対立の激化にともない、戦火の中に斃れていく。わずかに生き残ったものの、もはや土佐には帰れぬ者たちにとって、薩摩と長州の和解こそ新時代を切り開く唯一の道だったのだ。中岡慎太郎と坂本龍馬は、暗殺・捕縛の危険を省みずに、長州・薩摩・京を奔走する。こうした自分や藩の利益とは無縁の活動の積み重ねがあったからこそ、彼らの奔走は薩摩・長州首脳部の心を動かしたのだ。
番組ではこれまで、龍馬の柔軟なアイディアが成功の秘訣、と語られることが多かった薩長同盟を、近年の新研究を交え、土佐藩下級武士たちが薩長から得ていく「信頼」の視点から、改めて捉え直し、徒手空拳の若者たちが抱いた私欲のない「志」が、成就のとば口に着いた瞬間を描く。 |
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番組の内容について
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○薩長“同盟”か薩長“盟約”か?
この時の薩長の結びつきに関して、当事者たちがつけた名称は存在しません。そのため、「薩長○
○」という呼び方は、のちの研究によってつけられた呼称です。従来は「薩長連合」「薩長同盟」という表記が主流でした。(学校教科書では主に「同盟」を使用。)しかし近年、薩長が合意した六箇条の内容を再検討する研究が行われた結果、「薩摩藩が○○の行動をする」という内容であり、長州側の行動に関する内容が含まれていないことが、着目されました。この場合、「同盟」(国家が互いに共同の目的のために同一の行動をとることを約すること「広辞苑」)とは言い難く、「盟約」(固く誓い、約束すること「広辞苑」)と呼称した方が適切なのではないか、という意見が増えつつあります。しかしながら現在、他の呼称も含めて、統一・確定するまでは至っておりません。
今回の番組では、以上の状況をふまえ、「盟約」という呼称を紹介した上で、視聴者の皆様が混乱を生じないように、あえてなじみのある「同盟」の呼称を使用いたしました。
○薩長同盟(盟約)締結は1月21日ではないのか?
薩長同盟(盟約)は、あくまで薩長の代表が口頭で約束したものであり、正式な条約文書を取り交わしたり、署名等をおこなったりはしておりません。そのため、どの時点をもって締結日とするかを示す明確な史料はなく、当事者たちの行動等の状況証拠から、21日説と22日説に分かれております。今回は、『坂本龍馬日記(上)』(菊地明・山村竜也 新人物往来社1996年)を参照いたしました。
○番組で引用した登場人物の主な発言について
【中岡慎太郎】
①禁門の変の敗北・二十三士の処刑後の手紙
「実に天下ムチャクチャに相成申候。言語に絶し悲憤極り申し候。天下挽回再挙
なきにあらず、然しながら今暫く時を見るべし。涙をかかへて沈目(黙)すべし。
外に策なし。」(元治元年十月十日 中平保太郎、上田楠次ほか宛)
②薩長和解に奔走している時の漢詩
「吾身死す可くして未だ死せず。淪落且つ抱く生を偸むの羞。」
※全文は下記参照
「過筑紫灘有感」(慶応元年閏五月四日)
天涯為客已三感 家書萬金不可求
櫛風沐雨苦辛際 微衷直欲報國讐
豈圖一朝事大誤 遂将大譴帰公侯
吾身可死而未死 淪落且抱偸生羞
③後輩に宛てた手紙(番組のエンディング)
「志とは、目先の貴賤で動かされるようなものではない。望むべきは、その先の大いなる道のみである。今、貴いと思えるものが、明日は賤しいかもしれない。今、賤しいと思えるものが、明日は貴いかもしれない。君子となるか、小人となるかは、家柄の中にはない。
君、自らの中にあるのだ。」(文久元年十一月二十六日 北川竹次郎宛より抜粋・意訳)
※以上はすべて『中岡慎太郎全集』(宮地佐一郎
勁草書房)または『中岡慎太郎』(宮地佐一郎
中公新書)に所収
【坂本龍馬】
*家族に当てた手紙
「私は一人天下をへめぐり、よろしき時は諸国人数を引きつれ、一時に旗挙げすべし。実にお国のような所にて何の志もなき所にぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿ものなり。」
(慶応元年九月九日 姉・乙女宛)
※『坂本龍馬全集』(宮地佐一郎
光風社書店)または『龍馬の手紙』(宮地佐一郎
講談社学術文庫・PHP文庫)に所収
○番組内で紹介した史跡
*中岡慎太郎生家:高知県北川村柏木
昭和42年11月17日(慎太郎の命日)に復元公開されたものです。茅葺き屋根の肘屋建築。昭和43年県指定史跡。近隣に中岡慎太郎を紹介する『中岡慎太郎館』があります。問い合わせは、『中岡慎太郎館』電話
(0887)38-8600
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