その時歴史が動いたDVD第239回 真珠湾への道 <後編>~山本五十六 運命の作戦決行~日本NHK纪录片 

 

日本NHK纪录片

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その時歴史が動いた  DVD

第239回
真珠湾への道 <後編>
~山本五十六 運命の作戦決行~ 

松平定知 アナウンサー
番組概要
その時:昭和16(1941)年12月8日(現地時間7日 午前7時55分)出来事:日本海軍による真珠湾攻撃が開始
 
 太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃。この作戦を立案?指揮した連合艦隊司令長官?山本五十六(やまもと?いそろく)の生涯を描く2回シリーズ。後編は、真珠湾攻撃の全貌を克明に描く。
 航空隊で米軍の拠点?ハワイ真珠湾を撃破するという前代未聞の作戦。緒戦で敵に大打撃を与え、戦争を早期に終息させることが日本が生き残る道と信じ、山本は作戦遂行に邁進する。しかし、そこには多くの困難があった。ハワイまで米軍に知られず接近できるか。水深12m程の浅い湾で既存の魚雷が使えるか。その難問を克服するため、山本は技術開発と極秘訓練を繰り返す。一方、開戦回避に向けた外交交渉はギリギリまで続けられていた。山本は交渉妥結の見込みがあれば、作戦を中止するよう指示していた。
 しかし、交渉は決裂。12月8日(現地時間7日)、ついに真珠湾攻撃が開始される。百機を超える航空隊による攻撃は予想を超える大戦果に。しかし、実際は空母を逃がすなど、山本は作戦を全うできなかった。
 真珠湾攻撃は「だまし討ち」と米世論を激昂させ、アメリカは総力を挙げて逆襲に転じる。当初の山本の狙いは外れ、戦争は長期化。日本に三百万人を超える犠牲者を出す悲劇をもたらした。
 番組では、関係者の証言や山本五十六にまつわる史料から、真珠湾攻撃と山本の無念の生涯を描く。
番組の内容について
山本五十六について
山本 五十六(やまもと いそろく)
1884(明治17)年4月4日生-1943(昭和18)年4月18日没
大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。戦死時の階級は海軍大将で、死後、元帥。

○その時について
昭和16(1941)年12月8日(ハワイ現地時間の7日午前7時55分)、ハワイ北方海上の日本海軍航空母艦から発進した航空機183機がアメリカ軍基地の真珠湾に攻撃を開始した時
※日本時間では「12月8日午前3時25分」ですが、番組後半では現場状況を理解しやすいよう現地時間で経過を説明。日本時間は日にちを示すにとどめ、時刻は現地時間を用いました。

○「日米戦争は一大凶事(きょうじ)なり」という山本の言葉
※連合艦隊司令長官時代、山本が提出した意見書より

○冒頭で出た作戦書「戦備ニ関スル意見」について
「敵主力の大部隊真珠港(“しんじゅこう”原文では真珠湾ではなくこのように表記)に在泊せる場合には、飛行機隊を以て之を徹底的に撃破」
※史料は防衛研究所に所蔵。一部抜粋。

○作戦の奇抜さを承知していた山本の言葉
「桶狭間とひよどり越と川中島とを合せ行ふの已(やむ)を得ざる羽目に追込まるる次第」の記述を要約
※「桶狭間」「ひよどり越え」「川中島」は戦国時代の奇策を示します
※昭和16年10月24日付、山本から海軍大臣嶋田繁太郎あての手紙より

○魚雷発射の訓練について
魚雷の発射高度や、発射された魚雷の沈む深さについてはさまざまな文献、証言によって多少の数値の違いがあります。
今回は、インタビューを行った真珠湾攻撃参加の元パイロットの方たちの証言に拠っています。

○山本の野村大使によせた戦争回避への期待
山本周辺の証言などから「野村さんは偉い人だからなんとか日米交渉をまとめてくれるだろう」と山本が語っていた言葉から。

○「ローズベルト大統領」という呼名について
「ルーズベルト」と「ローズベルト」と両方使用されますが、現在教科書などでは、より英語発音に近い「ローズベルト」を使う場合が多く、番組でもそれに拠りました。

○山本が近衛首相に語った言葉
「初め半年や1年は暴れてご覧に入れます。しかし、2年3年となっては全く確信は持てません。
 日米戦争回避に極力御努力を願います」
※近衛首相の日記に記された山本の言葉を要約

○「漸減(ぜんげん)邀撃(ようげき)作戦(さくせん)」について
太平洋を渡ってくるアメリカ艦隊に対し、駆逐艦や潜水艦などの小部隊で襲撃を繰り返してその戦力を減らし、最後に日本近海で待ち受けるという、戦艦を中心とした主力部隊が艦隊決戦で勝負をつける作戦。

○新型魚雷の数について
文献によって数値の違いがあります。番組は、インタビューを行った真珠湾攻撃参加の元パイロットの方たちの証言に拠っています。

○日本が提出した和解案
「乙案(おつあん)」と呼ばれるものです。番組中に出てきた原書は外務省外交史料館に所蔵。

○連合艦隊最終打合せでの山本と指揮官たちの応酬の言葉
山本「ワシントンで行われている対米 交渉が妥結したならば、ハワイ出動部隊はただちに反転して帰投せよ」
南雲忠一中将など何人かの指揮官「それは無理な注文です。出しかけた小便は止められません」
山本「もしこの命令を受けて帰れないと思う指揮官があるなら即刻辞表を出せ。百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」

○日本の和解案に対するアメリカの対案
通称「ハル?ノート」と呼ばれます。番組中に出てきた原書は外務省外交史料館に所蔵。

○山本は自ら立案した作戦を前線で指揮することを希望した
冒頭で出てきた「戦備ニ関スル意見」での山本の下記の記述に拠っています。
「小官(山本自身)は本布哇作戦(ハワイ作戦、真珠湾攻撃のこと)の実施にあたりては航空艦隊司令長官を拝命して攻撃部隊を直率せしめられんことを切望するものなり」

○開戦決定を受けた山本の言葉
「万事休すだ。もし交渉がまとまったら、出動部隊をすぐ引き返すだけの手は打っているが。どうもね」

○「18隻の軍艦、200機以上の航空機に被害があった」という番組での真珠湾の被害説明について
文献によっては多少の異同がありますが、今回はアメリカ側の認定した被害状況に拠っています。

○山本が作戦の最後に語った言葉
当時の山本周辺にいた海軍関係者の証言にあったものを要約しています。
「ここは航空艦隊指揮官に任せておこう」

○「志気ヲ阻喪(そそう)」の文章について
冒頭の「戦備ニ関スル意見」より
「開戦劈頭(かいせんへきとう)敵主力艦隊を猛撃撃破して、米国海軍及米国民をして救うべからざる程度にその志気を阻喪(そそう)せしむる」

○スタジオで半藤さんがふれた「航空艦隊に攻撃後はただちに戻れ」といった軍令部の命令について
昭和16年11月5日に出された大本営海軍部(軍令部)指示第一号別冊の中の「対米英蘭戦争 帝国海軍作戦方針」の次の命令より。
「第一航空艦隊を基幹とする部隊を以て開戦劈頭(かいせんへきとう)布哇(ハワイ)所在敵艦隊を奇襲し其の勢力を減殺するに努め 爾後(=その後)主として第四艦隊の作戦及び南方攻略作戦の支援に任ず」

○山本五十六の長男、山本義正さんの手紙について
今回番組では、山本五十六の長男?山本義正(やまもと よしまさ)さんに当時の家庭での山本五十六の状況をお手紙でお伺いすることができました。
下記、番組内で抜粋した義正さんの手紙の文面(※一部抜粋)
「私たち一家が父を交えて最後に食事をしたのは昭和16年12月3日の夜でありました」
「テーブルに並んだ品々の中に、ひときわ目立ったのが一尾の赤い鯛でした」
「まだ幼い妹や弟達には何を意味するものか、わからなかったでしょう。
 けれども、真ん中にあった鯛には最後まで誰も箸をつけませんでした」

○山本が戦死した部下の名前を記した手帳を見ながら言った言葉
「もうどのくらいになったかな、この手帳もいっぱいになって数えるのも難しくなった」

○山本が戦死の7ヶ月前にしるした手記の文章
「ああ われ何の面目かありて見えむ大君に 将又逝きし戦友の父兄に告げむ言葉なし
 いざまてしばし若人ら死出の名残の一戦を 華々しくも戦ひてやがてあと追ふわれなるぞ」
番組中に登場した資料について
○航空機の演習イメージ:「トラトラトラ!」20世紀FOX
○その他は多くを日本ニュースやアメリカ国立公文書館所蔵の映像に拠っています。
参考文献
戦史叢書「ハワイ作戦」 著 防衛庁防衛研修所戦史室
「トラトラトラ」 著 ゴードン?W?プランゲ
「真珠湾作戦回顧録」 著 源田 実
「真珠湾攻撃」 著 淵田美津雄
「聯合艦隊」 著 草鹿龍之介
「史観真珠湾攻撃」 著 福留 繁
「真珠湾までの365日」 著 実松 譲
「日本の近代6 戦争?占領?講和 」 著 五百旗頭真
「真珠湾の日」 著 半藤一利
「父 山本五十六」 著 山本義正 
「山本五十六 上下」  著 阿川弘之        
「波まくらいくたびぞ 悲劇の提督南雲忠一中将」 著 豊田 穣 
 

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■字幕

部份日语字幕

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