その時歴史が動いたDVD第274回 それでも民は祈り続けた~島原の乱キリシタンの悲劇~日本NHK纪录片 

 

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その時歴史が動いた  DVD

 第274回
それでも民は祈り続けた
~島原の乱キリシタンの悲劇~

松平定知 アナウンサー
番組概要
その時: 寛永15 (1638) 年2月28日
出来事: キリシタンによる一揆「島原の乱」が幕府軍によって鎮圧される 
長崎島原にある原城跡。江戸時代初期、キリシタンが幕府軍に一揆蜂起した島原の乱の現場である。現在発掘調査が行われ、数百体の人骨や十字架が現れた。370年の時を経て明らかになった乱の凄惨さ。なぜ、このような悲惨な事件が起きたのか?
かつて島原はキリシタン大名?有馬氏の領国。領主の庇護のもと、宣教師の積極的な布教が行われ、戦乱の傷跡に苦しむ民衆は新しい宗教に救いを求める。しかし一方では、キリシタンは、仏教など“異教徒”に力づくで改宗を迫っていた事実が明らかになってきた。
こうした改宗活動を扇動していたのが宣教師だった。イスパニアやポルトガルなどカトリック教国は、世界各地で植民地政策を進めていた。両国から資金援助を受けていた宣教師たちは、その戦略の遂行に大きく関与していた。島原の宣教師も有馬氏に交易で利益を与える一方、暴力をも容認する改宗活動を後押ししていた。
カトリック教国の侵略意図を知った幕府は禁教令を発布し、キリシタンに厳しい弾圧を行う。しかし、国家間の思惑など知らないキリシタンは簡単には信仰を捨てられず、ついに信仰の自由を求めて立ち上がる。幕府は、キリシタン蜂起の連鎖拡大と背後にあるカトリック教国の援軍を恐れ、12万人という大軍で徹底鎮圧を決行した。
番組では、一揆軍指導者で唯一生き残った山田右衛門作の供述書から島原の乱の内実を明かし、宗教をめぐる国家間の衝突に翻弄されながら、信仰に殉じたキリシタンの悲劇を描く。
番組の内容について
原城跡の発掘調査について
番組で紹介した原城跡の発掘調査は、南島原市教育委員会 (当時は南高来郡南有馬町) が平成4年度から行っている初めての本格的調査。島原の乱後、幕府軍は現場を埋めてすべての痕跡を消し、そのまま放置されたままとなった。
城跡は公園となったが、整備事業のため地面を掘り返したところ地中から十字架が出土した。これをきっかけに本格的調査が開始。出土品は、数百体に及ぶ遺骨、火縄銃の弾などの武器、そして十字架?メダル?ロザリオの珠などのキリシタン遺物など。調査から、これまで確認できなかった一揆軍の籠城の様子やキリスト教信仰が深く関わっていたことが実証された。発掘調査は今も継続されている。
出土品の一部は原城文化センター (南島原市南有馬町乙1374?0957-85-3217) に展示されている。
「山田右衛門作 (えもさく) 口書写 (くちがきうつし) 」について
一揆軍副将格だった山田右衛門作が、一揆軍敗北の直後に幕府軍 (松平信綱) に対して語った供述書の写し。島原の乱の有力な史料とされる。供述書そのものは残っていないが、写しが各藩 (九州に多い) に残されている。
今回、撮影した文書は熊本藩の庄屋に代々保存されてきたもので、島原の乱研究の第一人者である鶴田倉造氏らが最も信憑性の高いと指摘した「口書写」である。
また、番組エンディングに出てくる宮崎県西臼杵郡高千穂町でも「口書写」は発見された。ただ、これは書かれた時代が乱の100年以上後のものである。

「山田右衛門作」という人物について
今回の番組は、山田右衛門作の供述書を軸に展開されている。山田についての確かな情報は、「有馬氏?松倉氏に仕えた南蛮絵師だった」「南蛮絵師としての知名度は高かった」「一揆軍が籠城したときに副将格だった」というもの。
番組では、上記の情報とともに他の史料や状況証拠をもとに描いた。

一揆軍は本当に「3万7千人」の根拠について
一揆軍の人数については諸説あるが、今回は幕府の公式記録、山田右衛門作の証言に「籠城者3万7千人」とあり、その数字を採用した。

天草四郎の年齢「16歳」について
「山田右衛門作口書写」には「四郎生年拾六歳ニ罷成候」とあり、これを採用した。

江戸幕府の禁教令「慶長18年」の根拠について
慶長17年に起こった「岡本大八事件」 (有馬晴信が死罪になった事件) をきっかけに、禁教令は直後に2回出された。最初は同年3月、幕府直轄地に対して発布され、その後慶長18年12月に全国的な禁教令が出された。島原?天草の民衆が直接受けたのは後者の方なので、禁教令布告を「慶長18年12月」とした。
また、「禁教令から23年後」に乱が勃発したという表記も、「慶長18年12月」の禁教令を起点にしている。

禁教令の年号を「慶長18(1614)年12月」とテロップ表記した理由について
禁教令の出された年号を「慶長18年(1614)年12月」と表記しました。「慶長18年」は太陰太陽暦(旧暦)、「1614年」は太陽暦(新暦)で、両者にはズレがあります。
禁教令の出された「慶長18年12月」は、太陽暦(新暦)では「1614年1月」にあたります。 そこで番組では「慶長18(1614)年12月」と表記しました。

乱が勃発した当時のポルトガルという国家の状況について
1580~1640年の間、ポルトガル王はイスパニア王が兼任していた。しかし、ポルトガルという国家は存在しており、イスパニア領になったわけではない。
また、1580年にイスパニア王がポルトガル王を兼任することが決まったとき、ポルトガル領であるゴアやマカオの統治には一切関わらないことも約束されている。

「一揆軍がポルトガルの援軍を待っていた」とする根拠について
番組中でも紹介したが、松平信綱が細川忠利に語った言葉として「拙者が異国船を呼び寄せたのは、一揆の指導者が、我々は『南蛮国』と通じているのでやがて『南蛮』から援軍がやってくる、などといって百姓を騙しているから、その『異国人』 (オランダ) に砲撃させれば、『南蛮国』さえあの通りではないかと百姓も合点が行き、宗旨の嘘に気がつくのではないかと思ったからであり、日本の恥になるなど思いも寄らなかった。」とある。
(『綿考輯録』)
また、島原の乱の直後に出された鎖国令に「ポルトガル船の摘発」に関する条項もあるなど、いくつかの状況証拠から研究者?服部英雄氏らは「ポルトガル援軍説」を唱えており、今回はこの説に拠った。

「全能の神デウスによる最後の審判」というコメントについて
当時、日本に来ていた宣教師が全能の神を「デウス」 (ポルトガル語) と言っていた。「全能の神 (である) デウス」という意味合い。ギリシア神話のゼウスとは全く異なる。また、「最後の審判」とは、一般的な終末思想を表す。

登場人物の言葉について
徳川家康の言葉
「邪教を広めて、日本の国を領有しようと企んでいる。」
慶長18年12月の禁教令において、家臣の金地院崇伝が起草した『伴天連追放之文』より引用
旧小西家臣の浪人が流布した予言
「異教徒には火の審判が下される。そして、天の使いが現れるだろう」
『耶蘇天誅記』所収の「寿庵廻文」より引用

宣教師ルイス?フロイスの記録
「宣教師は、有馬晴信に領内の寺社の破壊と領民の改宗を約束させた。一方で、鉛と硝石を提供した」
ルイス?フロイス『日本史』より引用し、一部意訳

宣教師ルイス?フロイスの記録
「僧侶たちが隠していた仏像をキリシタンたちが取り出し、大きな仏像は祭壇もろとも放火した」
ルイス?フロイス『日本史』より引用し、一部意訳

オランダ国王の国書
「カトリック宣教師は日本人を改宗させて、他の宗教を排斥しようと考えている。そして、宗教の争いを起こさせ、内乱に導こうとしているのだ」
『異国日記』より引用し、一部意訳

宣教師の言葉
「日本においては、カトリック諸侯による武力征服は有効な策であり、またそれは可能である」
「ペドロ?デ?ラ?クルスがイエズス会総長に宛てた書簡」より引用し、一部意訳

コンフラリアの掟
「拷問や侮辱などあらゆる苦難に耐え、強固な信仰を示せば救済される」
ジェロニモ?ロドリゲス作成「組ないしコンフラリアに関する覚書」より引用

ウルバノ8世の書簡
「我らはこれより、殉教を覚悟して母国も捨て去る宣教師の大群をあなた方の所へ送ることにしよう」
ローマ教皇?ウルバノ8世書簡 (1626年10月13日付) 「有馬地方の信徒宛小勅書」より引用

民衆の声
「我々は今日からキリシタンとなる。先年転んだことは取り消す。」
『佐野弥七左衛門覚書』より引用

山田右衛門作の供述
「やがて、善人が必ず生まれ出るだろう。その子は習わないのに諸学を極め、人々の頭に十字架を立てるだろう。」
『山田右衛門作口書写』より引用

旧小西家臣の浪人が流布した予言
「異教徒には、デウス様より火の審判が下される。天草四郎様と申すは、天人である。キリシタンにならない者は、デウス様に地獄へ落とされるのだ。」
『耶蘇天誅記』所収の「寿庵廻文」より引用

民衆の声
「いま起こっている天候不順や飢饉は、自分たちがキリスト教を捨てたせいだ。」
『道家七郎右衛門口上覚』より引用し、一部意訳。

山田右衛門作の供述
「私たちは以前、転宗をして後悔しています。この度、四郎殿をキリシタンの大将にして、キリスト教を再興しようと決心しました。」
『山田右衛門作口書写』より引用

山田右衛門作の供述
「攻めてきていると聞いて驚き、話し合いの上、原城に立てこもることに決めた。」
『山田右衛門作口書写』より引用

山田右衛門作の供述
「前の日の晩に総攻撃のあることを知った。城中ではそのつもりで待っていたので、強く防いで、手負いや死人は合わせて17人しかいなかった。」
『山田右衛門作口書写』より引用

松平信綱の矢文 (遣い) 「キリシタンになったことを悔いてそれを止め、投降する者は許す。」
一揆軍の返事 (遣い) 「我々は神に対し、命を捧げる覚悟である。」
『一揆籠城之刻日々記』より引用

宣教師の報告
「大勢の宣教師とともに日本に入ろうと試みたが、結局上陸できなかった。」
「カルヴァーリョ弁駁書」より引用し、一部意訳

ポルトガル商人の報告
「この度の戦いは、キリシタンとは関係ない。島原藩が幕府に虐政を隠すために、キリシタン信徒の反乱だと言いふらしたのである。」
「ドアルテ?コレアの報告書」より引用

松平信綱の言葉
「彼らはやがて南蛮から援軍がやってくると信じているが、異国人に攻撃させれば、嘘だと気づくだろう。」
熊本藩『綿考輯録』より引用し、一部意訳

山田右衛門作の供述
「皆、四郎殿さえ弾丸に当たり、傍の者が射殺されるとは、不吉なことよと言っていた。私はこのことがあったので、勇気がなくなった。」
『山田右衛門作口書写』より引用

幕府軍?細川忠利の言葉
「キリシタンはことごとくなで斬りした。」
熊本藩細川家『部分御旧記』より引用

天草四郎の言葉
「いま籠城している者たちは、来世まで友になる。」
『四郎法度書』より引用

フレノ神父の言葉
「苦難に直面しながら、彼らの信仰の精神は打ちのめされていない。」
『パリ外国宣教会 年次報告』より引用

番組で使用した映像について
原城跡発掘調査の出土物 南島原教育委員会 (原城文化センター)
『山田右衛門作口書写』 個人蔵
天草四郎 肖像画 島原城キリシタン史料館
「天草四郎陣中旗」 天草切支丹館
「島原陣図屏風」 秋月郷土館
山田右衛門作 肖像画 秋月郷土館
徳川家康 肖像画 大阪城天守閣
徳川家光 肖像画 金山寺 東京大学史料編纂所
有馬晴信 木像 台雲寺
松平伊豆守信綱 木像 平林寺
ウルバノ8世 肖像画 カピトリーニ美術館
ルイス?フロイス『日本史』 松田毅一南蛮文庫
フレノ神父、浦上天主堂 写真 カトリック浦上教会

参考文献
『原史料で綴る天草島原の乱』鶴田倉造編?松本寿三郎監修 (本渡市)
『島原半島史 (中巻) 』林銑吉編 (長崎県南高来郡教育委員会)
『原城発掘』石井進?服部英雄編?長崎県南有馬町監修 (新人物往来社)
『上天草市史 大矢野町編3 近世 天草島原の乱とその前後』鶴田倉造著 (上天草市)
『日本史』ルイス?フロイス/松田毅一?川崎桃太訳 (中央公論社)
『日本キリスト教史』五野井隆史著 (吉川弘文館)
『イエズス会と日本 一?二』<大航海時代叢書第二期>高瀬弘一郎編?訳 (岩波書店)
『日本初期洋画の研究』西村貞著 (全国書房)
『島原の乱』神田千里著 (中央公論新社)
ほか
※絶版になっている場合もありますので、書店?出版社にご確認ください。
 

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