その時歴史が動いたDVD第276回 完成戦国最強軍団~武田信玄苦悩の生涯~日本NHK纪录片 

 

日本NHK纪录片

日本语世界--影片介绍

その時歴史が動いた  DVD

第276回
完成戦国最強軍団
~武田信玄苦悩の生涯~

松平定知 アナウンサー
番組概要
その時: 元亀3(1572)年12月22日
出来事: 三方ヶ原の戦いで武田信玄が徳川家康に大勝、最強軍団が完成
「人は城、人は石垣、人は堀」。武田軍団の結束力の強さを評したこの言葉は、それは信玄が死の直前にようやく完成させたもので、実像は長いあいだ正反対だったことが近年の研究で明らかになってきた。
甲斐国では、武将たちが狭い盆地ごとに独立した勢力を築いていた。武田家家臣団も、そうした武将たちによる結束の緩い連合体だった。そのため御しやすい当主として、父・信虎追放後、21歳の信玄は家臣団に担ぎ出される。
信玄は最大の敵・上杉謙信をはじめとして戦いに明け暮れる生涯を送るが、これは従わない家臣団をまとめるための策だった。しかしまとまりかけた家臣団も派閥分裂の危機に陥り、信玄は断腸の思いで嫡男を自害に追い込む。
しかし、辛く長いその道のりを経て、信玄は人心掌握術を学ぶ。家督を継いでから30年後、ついに三方ヶ原の合戦で家康軍を破り、最強軍団の完成を見る。翌年、信玄は病死するが、最後に作り出した家臣団の結束は家康の模範とされ、天下太平の世の礎となった。
当主たちも、家臣たちから冷徹に選ばれていた戦国時代初期。独立心旺盛な家臣たちをまとめあげ、最強の軍団を築き上げた信玄の苦悩の生涯を、最新の研究成果を織り交ぜながら描く。
番組の内容について
「山本勘助」について
一時期、勘助の存在が否定的に見られていました。しかし、最近は勘助(菅助)の実在を証明する文書が見つかるなど、学会を中心に再評価の動きが強く、存在を認めてよいとの立場に立つ研究者が増えてきました。
そのため、今回は「山本勘助」について書かれている甲陽軍鑑の記述や研究者への取材を元に勘助について描きました。
「山本勘助」は目や足が不自由だったのではないか?
甲陽軍鑑によると山本勘助は色黒く、隻眼、足が不自由で、全身に無数の傷があるとされるが、具体的にどちらの目や足が不自由だったとなると、当時の記録はありません。
彼の肖像は後に描かれたものばかりで、今回使用した肖像では右目が不自由ですが、武田二十四将図では左目が不自由など、どちらの目が不自由だったかは定かではありません。
そのため今回番組では、特にどちらの目、足が不自由であるか特定しない形で構成しました。

「武田信玄」「上杉謙信」の名前について
武田信玄が信玄と名乗ったのは出家した永禄2年ころ以降であり、それ以前は武田晴信と名乗っていました。番組では時代によって名前が変わる煩雑さを避け、理解を容易にするため一般に知られた「武田信玄」で通しました。
上杉謙信も謙信と名乗るようになったのは川中島合戦より後のことであり、元々長尾姓であり頻繁に改名を繰り返しています。そのため信玄同様「上杉謙信」で統一しました。

三方原の戦いの年号表記について
番組では「三方原の戦い」を元亀3(1572)年12月22日と表記しています。
しかし、日本歴と西暦では明治5年までおよそ1ヶ月のずれがあるため、元亀3年12月22日は西暦では厳密には1573年1月25日になります。
番組では原則日本歴での表記を優先しています。よって混乱をさけるため西暦は(1572)と補助的に表記しました。
こうした表記の原則は文部科学省検定の教科書や研究者の間でも用いられており、今回の番組もこれに準拠しました。

甲州法度(こうしゅうはっと)について
「甲州法度之次第」とも言われますが、国史大事典によると「甲州法度」は正式名称となるため今回は甲州法度と表現しました。
また最終的に条文の数は57か条ですが、番組で紹介した時期には26条なので、「26か条」としました。

川中島の合戦の年号について
武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の合戦、第一次合戦は天文22(1553)年ですが、今回は三国同盟成立後の川中島の合戦なので、第二次合戦の年号、弘治元(1555)年と表記しました。

三方ヶ原(みかたがはら)の戦いについて
武田軍の進軍したルートや陣形、徳川軍の出撃したタイミングなど諸説ありますが、「甲陽軍鑑」「浜松御在城記」「遠江国風土記伝」などを元に研究者への取材を交え構成しました。

登場人物の言葉について
勘助の言葉
「戦を続ければ家臣たちは結束するはずです」
『甲陽軍鑑』より引用し意訳
信玄の父・信虎(のぶとら)の様を伝えた言葉
「重い罪人も、大した罪の無い者も 同じように成敗された 無行儀であった」
『甲陽軍鑑』より引用

若き信玄を伝えた言葉
「一切の夜昼の弁(わきま)えもなく 乱鳥(みだれどり)の狂(くるい)」
『甲陽軍鑑』より引用

家臣の言葉
「女とはいえ敵に当たるゆえ 寝首をかかれますぞ」
『甲陽軍鑑』より引用し意訳

勘助の言葉
「もし男子が生まれれば 諏訪家の家臣たちはお家再興に望みをかけ 奉公に励むでしょう」
『甲陽軍鑑』より引用し意訳

信玄の詠んだ歌
「頼まずよ 人の心のつれなさを 恨むるほどに 夜も更けにけり」
『武田晴信朝臣百首和歌』より引用

勘助の言葉
「厳しく統制する掟を定めれば、家臣たちはおのずと殿のために忠誠を尽くすでしょう」
『甲陽軍鑑』より引用し意訳

法度の条文
「自分も決まり事を破ったら 相応の処分を受ける」
『甲州法度』より引用し意訳

家臣の書状
「甲州法度を一切停止する」
『小山田信有書状』より引用

信玄の言葉
「すべてが思うようにならない」
信玄が龍淵斎(りゅうえんさい)に送った書状『磯部家文書』より引用し意訳

勘助の言葉
「戦を続けて領土を獲得なさいませ。その土地をすべて家臣に与えれば大将を大事にするはずです」
『甲陽軍鑑』より引用し意訳

勘助の言葉
「一に計略 二に布陣 三に情報の見極め これらがそろえば勝利をおさめることが出来ましょう」
『甲陽軍鑑』より引用し意訳

家臣の言葉
「古今まれなる弓取りの大将にて御座候」
『甲陽軍鑑』より引用

神前で家臣に結束を誓わせた言葉
「領内を守るため団結して戦わなければならない」
願文『守矢家文書』より引用し意訳

川中島の合戦の様子
「甲州勢は鉄砲に撃たれ、矢先に射抜かれ 人馬共に流れる者は数知れぬほどである」
『甲越信戦録』より引用し意訳

信玄の言葉
「家臣たちが健気にその命をかけ自分を敵の襲撃から守ってくれた」
『甲陽軍鑑』より引用し意訳

家臣の誓いの言葉
「信玄様に対し逆心を抱きません 謀反を企てず 忠節を尽くします」
『生島足島神社 起請文』より引用

将軍・足利義昭の言葉
「活躍は耳にしている 天下太平のために上洛してほしい」
『足利義昭御内状』より引用し意訳

信玄の言葉
「存命のうちに天下を取り 京に旗を立つ」
『甲陽軍鑑』より引用

武田軍圧勝の様子
「あたかも猛虎が羊の群れに突撃したるがごとく 全軍巨大な火の玉に見えたり」
『千曲之真砂』 より引用し意訳

信玄の残した家訓
「家臣が病の際にはたとえ手間がかかっても見舞うこと」
「離反した場合でも覚悟を直すものについては過去を咎(とが)めず再び召し抱えること」
「家臣のみを自分の喉の渇きのように思い潤し続けること」
『信玄家法』より引用し意訳

信玄の歌
「幾年か我身(わがみ)ひとつの秋を経て友あらばこそ月を見てまし」
『武田晴信朝臣百首和歌』より引用
 

■色彩

彩色

■字幕

部份日语字幕

■音声

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DVD 1 张 12 元 (可在DVD机和电脑上播放)

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