その時歴史が動いたDVD第37回 検証桜田門外の変 ~井伊直弼暗殺幕末大転換の時~日本NHK纪录片 

 

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その時歴史が動いた  DVD

第37回
検証・桜田門外の変
~井伊直弼暗殺・幕末大転換の時~ 

松平定知 アナウンサー
番組概要
その時:安政7年(1860年)3月3日朝
出来事: 江戸城桜田門外で大老・井伊直弼暗殺される
 1860年3月3日、季節はずれの大雪の朝、幕府の最高権力者・井伊直弼が十数人の刺客に襲われ殺害される。桜田門外の変である。  大老・井伊直弼は、これまで幕府の方針に反対する勢力を弾圧した非情の独裁者として知られてきた。しかし井伊家の史料からは、直弼が悩みためらいながら政局を動かしていたことが分かる。国際情勢が緊迫する中、強まる国内の反発。やがて直弼は反対派を弾圧し、逆に命を狙われるようになる。  そして3月3日の朝、彦根藩邸。直弼に危機を告げる一通の投げ文が見つかった。しかし直弼はいつものように屋敷を出発。江戸城の桜田門を間近にした時、一発の銃声が鳴り響き、直弼は倒れた。雪のため身重な警護の侍たちは反撃できず、十数名の暗殺者たちはわずか数分で直弼の首をとる。  最新の研究をもとに等身大の井伊直弼像を描きながら、幕末を揺るがした暗殺計画の推移、そして暗殺の瞬間を詳細にドキュメントする。
番組の内容について
「安政7年3月3日」について
桜田門外の変が起きた1860年3月3日は、教科書など多くの文献・書物で「万延(まんえん)元年」となっています。しかし、正確には3月3日の「桜田門外の変」の後3月18日に安政7年から万延元年に改元(元号が変わること、この時代はまだ一世一元ではなく、この時の場合は桜田門外の変などの政情不安のため改元された)されたので、厳密には3月3日はまだ安政7年です。 研究者の見解では、「『安政7年』と言っても『万延元年』といっても間違いではない」とのことでしたが「その時歴史が動いた」では、1868年1月の「鳥羽伏見の戦い」を明治元年とはせず慶応4年としてきたので、今回もそれにならい「改元するまでは前の元号」を原則としました。
襲撃場面の映像およびコンピュータ画像について
井伊直弼襲撃の時の水戸側、彦根側の動きについては、諸説がありますが、番組では最も信用がおけるとされている以下の文献を参考にしました。 彦根藩駕籠周りの配置については、彦根市史を参考にしました。 実際には警備の武士の他足軽が供にいましたが、煩雑であるためCG画面からは割愛しました。詳しくは下記VTRの説明の箇所に。
襲撃に加わった18人の配置ならびに動きについて
水戸市史中巻4第21章、茨城県史近世編第10章、吉村昭著「桜田門外ノ変」を参考にしました。 桜田門と彦根藩邸の位置関係については、茨城県立歴史博物館から提供頂いた地図を参考にしました。
桜田門外の変の襲撃者たちについて
桜田門外の変には水戸藩士の他に薩摩藩士の有村次左衛門が加わっていますが、平明にするため詳細の解説を割愛しました。
また、刺客たちを「水戸藩士」とするか「水戸脱藩士」とするかは、「脱藩」の解釈に諸説があり(刺客たちの脱藩届けは届け捨てであり藩の承認は得ていない)微妙であるため、薩摩藩士と併せて「過激派」という表現にしました。水戸藩内で密勅返納に反対したグループを歴史的にには「激派」と言っていますが、これも理解を助けるため「過激派」としました。
人物の呼称について
井伊直弼の兄の読み方は井伊直亮(いい・なおあき)桜田門外の変の前に大老を辞すよう忠告に来たのは松平信和(まつだいら・のぶやす)(供に吉田常吉著「井伊直弼」による)
第二次アヘン戦争(アロー号戦争)にともなうイギリス・フランス軍の動きについて
番組中、船が迫って来る映像が出てきますが、「アロー号戦争後、英仏の艦隊が日本に迫って来る」というのはアメリカ行使タウンゼント・ハリスの外交上のはったりであり、実際に日本に向かったわけではありません。
安政の大獄に至る安政5年の政変について
番組であつかった安政5年前後の井伊直弼と水戸藩をめぐる対立には、番組で紹介した通商条約を始めとした外交問題の他に、いわゆる将軍継嗣問題(徳川13代将軍家定の後継問題)がありますが、今回は外交を軸とした「国難」に為政者がいかに対処するかを軸としたため、平明を期して割愛しました。
水戸藩士たちが井伊直弼暗殺を計画した時期
諸説がありますが、「水戸市史 21章」に安政6年3月頃にもちあがり秋頃に具体化し始めたとあります。よって事件の1年前としました。


井伊家に伝わる史料
「公用方秘録」
「公用深秘録」
幕末の彦根藩用人、宇津木六之丞が記した書物。
井伊家所蔵で現在彦根城博物館に寄託中。
これについての最新研究は「彦根博物館研究紀要第9号『公用方秘録』の成立と改編 1998」に詳しい。 彦根城博物館に在庫あり。
刊行本としては「大日本維新史料累纂之部井伊家史料」(東京大学史料編纂所編)があるが、近年の研究で「公用方秘録」そのものの改変の指摘がなされており、それについては上記彦根城博物館紀要に詳しい。
彦根城博物館資料部 
彦根市金亀町1ー1
0749-22-6100
井伊直弼が青年時代を過ごした屋敷:埋木舎(うもれぎのや)
彦根市尾末町1丁目
0749-23-5268
通常公開されているが、月曜定休 その他不定休ありにつき、事前に連絡を。
井伊直弼肖像
豪徳寺(東京都世田谷区)所蔵
東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
03-3426-1437
明治時代初期に直弼の息子が書いた油絵

井伊直弼の言葉
「これ世を厭ふにあらず。はた世をむさぼるごときか弱き心しおかざれば、望み願う事もあらず。ただ埋もれ木の籠もり居て、なすべき業をなさまし」(埋木舎の木、天保5年直弼20歳の書)の文章から抜粋した。
大意は、「世の中が嫌になったわけではない。出世したくてたまらないわけではないから望み願うこともない。ただ土に埋もれてしまった木のように自分のなすべきことをやろう。」
井伊直弼が記した茶道の書
「入門記」「炭の書」共に彦根城博物館所蔵 彦根藩の跡継ぎに決まった時の直弼の言葉 「もはや出世することはあるまいと思っていた身が今回のように身分が高くなりありがたいかぎりである。これからはくれぐれも善い政治に努めたい」(大意) 直弼が弘化3年閏5月家臣の犬塚外記へ送った手紙より
。所蔵は彦根城博物館
海岸でのレポート
彦根藩の陣屋があった神奈川県三浦市の三浦海岸 近くに陣屋跡があります。
詳しくは三浦市役所まで
「ペリー来航浦賀絵図」
ペリーが来航したとき彦根藩兵が警備する様子を描いた絵図。
彦根城博物館所蔵
彦根藩の江戸警備について
彦根藩はペリー来航時(嘉永6年6月)は「相州(三浦半島)警備」担当その後11月から翌嘉永7年4月まで「羽田・大森警備」担当
直弼の開国論
嘉永6年8月10日と29日に幕府に提出された意見書による
「しばらく兵端を開かず、年月を経て必勝万全を得る之術計ニ出申すべき」 (しばらく戦争を始めず、年月がたって国力がついてから勝利する) 直弼に反対した
「徳川斉昭(なりあき)肖像」
所蔵:水府明徳会徳川博物館
茨城県水戸市見川1-1215-1
029-241-2721
アメリカ総領事ハリスの肖像
所蔵:伊豆下田玉泉寺ハリス記念館
静岡県下田市柿崎31-6
0558-22-1287
孝明天皇肖像
所蔵:泉涌寺(せんゆうじ)
京都市東山区泉涌寺山内町27
075-561-1551
直弼の日米修交通商条約調印に際しての主張
「天朝に御伺いあい済まないうちはいかに迷惑がかかろうと調印あるまじき」 「致し方これ無き候えども、なるたけ相働候様」(やむを得ない場合はしょうがないが、なるべく(延期するよう)努力するように) 共に「公用方秘録」より
水戸藩の京都朝廷への運動について
頼三樹三郎(らい・みきさぶろう)、梅田雲浜(うんぴん)、橋本左内といった徳川斉昭と意を同じくした各藩藩士が連携して入説した
朝廷から水戸藩に下った勅諚(ちょくじょう)について
一般的に「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」と呼ばれているもので、本状の所在は不明。 文面の写し(同時代水戸藩他によって多数作成された)が各地伝わっているが、番組では彦根藩に伝来するものを紹介した
所蔵:彦根城博物館
安政の大獄での逮捕者数について
データは文献によって諸説があるが、最もポピュラーな研究書である 「安政の大獄」(吉田常吉著)によりおよそ80人としました。 安政の大獄に関するデータはこの本によります。
村山たかについて
文献によっては「村山たか女」「村山可寿江(かずえ)」となっていますが全て同一人物です。朝廷工作に関わっていた根拠は、安政5年3月たかから直弼の腹心長野義言(よしとき)への手紙にあります。くわしくは吉田常吉著「井伊直弼」を。
孝明天皇が幕府に下した通商条約を追認する書状について
一般に「叡慮氷解の勅諚(えいりょひょうかいのちょくじょう)」と呼ばれているもので、いくつか写しが存在します。番組で紹介したのは彦根城博物館所蔵 井伊家文書にある写しです。 直弼が「ことの他喜んだ」という記述について 安政5年12月28日書状に「ことのほかご満悦にござ候」とあります。
江戸に潜んで直弼をねらう刺客について
桜田門外の変に加わった18人と、京都向かった金子孫二郎らを足して20名以上としました。
直弼の友人松平信和(のぶやす)の袖が破れた記述について
島田三郎著「開国始末」(明治21年)にあります。
大きい図書館なら数種類の刊行本がみれます。
冒頭のレポートに出てきた「彦根藩邸跡」
東京都千代田区永田町1丁目の、憲政記念館の庭園にあります。
首都高速がトンネルに入るあたりです。
襲撃場面のCG(コンピュータグラフィック)について
水戸藩脱藩士(刺客)の配置 「水戸市史」「茨城県史」 「桜田門外ノ変」(吉村昭)により、濠側に佐野、大関、広岡、稲田、森山、海後、森  大名屋敷側に黒沢、山口、杉山、増子、蓮田、鯉淵、広木、有村 見届け役の関、斉藤、岡部は大名屋敷側としました。
「村山たか生き晒しの図」
京都市左京区一乗寺才形町20
金福寺 所蔵
075-791-1666
政治に携わる不安を述べた直弼の手紙
(安政2年8月) 直弼の戒名「宗観院柳暁覚翁居士(そうかんいんりゅうぎょうおあくおうこじ)」 彦根城博物館所蔵
井伊直弼作の狂言「鬼が宿」
(「安達女」と言う場合もありす) 紹介した映像は1987年に彦根城博物館能楽堂で上演されたもので、出演は茂山千五郎、茂山千之丞他です。
伝来:京都茂山狂言会
 

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