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第51回
昭和天皇とマッカーサー会見の時 |
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松平定知 アナウンサー |
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番組概要
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その時:昭和20(1945)年、9月27日 |
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出来事:昭和天皇と連合国軍総司令官マッカーサーの初会見 |
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終戦直後、日本国民に大きな衝撃を与えた一枚の写真がある。昭和天皇と連合国軍総司令官マッカーサーとが並んだ写真。戦後日本の行方を決める二人の初会見の時に撮られたものだ。この写真は日本とアメリカの力関係をいやが上にも印象づけることになった。
昭和20年8月30日、マッカーサーが厚木飛行場に降りたつ。以来、占領軍の東京進駐、東条英機ら戦犯者の逮捕など、緊張が高まる。しかし、マッカーサーは戦後の日本統治に天皇の存在は欠かせないと考えていた。
9月27日、昭和天皇とマッカーサーの会談が実現。この時、撮った写真は実は三枚あり、アメリカのマッカーサー記念館に所蔵されている。三枚の中で新聞発表されたのは一枚。この一枚の写真はどのような思惑で選び出されたのか。
様々な資料や証言をもとに、戦後日本の運命を決定づけた昭和天皇とマッカーサーの初会見の時を描く。 |
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番組の内容について
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マッカーサーと米軍進駐の映像
アメリカ国立公文書館、日本ニュース他から引用
厚木飛行場の映像
終戦前は日本ニュースから、終戦直後に写真は潮書房です。
証言者1
野口敬三さん
当時は海軍の軍属でした。問い合わせはPDまで
証言者2 芦沢紀之さん
当時陸軍の車両係でした。
厚木から横浜への道
英国人記者ポール?コートニー所蔵のものを使っています。
天皇陛下の写真
御文庫で執務中のものです。宮内庁提供。
木戸幸一日記
終戦の前後に宮内大臣を務めた木戸幸一の日記です。東京大学出版会から活字で発売されています。原本は公開していません。
日本の降伏調印式
日本ニュースとアメリカ国立公文書館、英国人記者ポール?コートニー所蔵のものを使っています。
ニューグランドホテル
横浜、山下公園前で現在も営業中。マッカーサーの部屋も泊まることができます。
重光葵の報告書
外務大臣の重光葵(まもる)が外務省に提出した報告書。東京、飯倉の外交資料館で閲覧できます。(マイクロフィルム)
重光葵の手記
国立国会図書館の所蔵。原本は公開していません。
戦犯の逮捕
東条英機をはじめ、第一回の戦犯逮捕は数え方で37~39名と言われます。これは逮捕が発令から3日間に渡って行われたため、どこまでを第一回とするか分かれるからです。
旧GHQ本部
現在の東京、丸の内の第一生命相互保険会社の建物です。マッカーサールームとして保存してあり、見学できます。
アメリカの世論
アメリカだけでなく、連合国諸国には当時、昭和天皇の戦争責任があるなしを調べるべきであるという論が多くありました。
紹介したのは米国議会に提出された文章で、米国立公文書館所蔵。
吉田茂の報告書
外務大臣の吉田茂が外務省に提出した報告書。東京、飯倉の外交資料館で閲覧できます。(マイクロフィルム)
外国人記者の記事
ニューヨークタイムズとロイター通信の記者が予め文章で質問を提出し、当日は昭和天皇がそれに答える形で会見が行われました。
実際には通訳をともなって記者一人ずつに会いました。
マッカーサーの家
現在も米国大使公邸です。見学できません。
昭和天皇を乗せた自動車
侍従の記録によると、当日はわざといつもの御料車(ロールス?ロイス)を使わずに、黒のベンツを使ったそうです。
再現映像ですので、本物ではありません。
昭和天皇とマッカーサーの写真
アメリカのマッカーサー記念館に所蔵されています
会見の内容
この時通訳を務めた奥村勝蔵氏が、後に要約を外務省に提出。その写しと思われる文書を死後公開したことがあります。それには番組で紹介した台詞はありません。但しマッカーサ回想録や、側近の証言、医師の証言などから、そのような台詞があったのだとする見解も有力です。その真偽はわからないので、冒頭に「日米両国は内容について発表していない」とお断りして、マッカーサー回想録を紹介しました
写真を見た日本人の感想
代表的なものを紹介しました。高見順はその日記で、斉藤茂吉も日記にかいてあります。宍戸哲三は根室の歌人で、昭和20年作成の歌集に入っています。
闇市映像
英国人記者ポール?コートニー所蔵のものを使っています。
憲法発布の映像
日本ニュースを使用しています。
エピローグ
戦後の日本の映像
日本ニュースを使用
昭和天皇の行幸
日本ニュースとポールコートニー所蔵のものを使っています。
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