その時歴史が動いたDVD第57回 邪馬台国の女王卑弥呼、動乱の中国に使者を出す日本NHK纪录片

 

日本NHK纪录片

日本语世界--影片介绍

その時歴史が動いた  DVD

第57回
邪馬台国の女王卑弥呼、動乱の中国に使者を出す 

松平定知 アナウンサー
番組概要
その時:景初3年(239年)
出来事:女王卑弥呼、魏の皇帝に使いを送る
 2世紀の終わり頃から3世紀にかけて、日本列島に存在したなぞの国・邪馬台国。その女王・卑弥呼の行動が持つ意味を探る。
卑弥呼は239年、中国北部を支配する魏の皇帝に使いを送った。
当時、中国は魏・呉・蜀の三国が並び立ついわゆる「三国志」の動乱の時代だった。
234年、魏と蜀は、中国中西部の五丈原で決戦を繰り広げていた。その最中、蜀の軍師・諸葛孔明が病死。蜀軍は撤退する。
魏は兵力を東部へ転換。238年、魏は、長年中国と日本の間で隆盛を誇っていた公孫氏という勢 力を滅ぼす。 その直後、卑弥呼は使者を送る決断をする。なぜ卑弥呼はこのタイミングで使者を送ったのか。
古代の東アジア情勢を分析し、発掘調査で明らかになった邪馬台国の時代の日本の実像を織り交ぜながら、日本が世界史に本格的に登場する瞬間を検証する。
番組の内容について
邪馬台国所在地論争について
邪馬台国に関しては、邪馬台国がどこにあったかを巡って、古くから「九州説」「畿内(大和)説」を中心に、学者のみならず一般も巻き込んで激しい論争が展開されてきました。今回の番組はこういった所在地論争を主題としたものでは全くありません。

①様々な発掘調査は行われているが邪馬台国の所在地がどこかについては、未だ定説がなく、明らかではない。また番組がどちらか一方の立場に与することもない。
②今回の番組の趣旨は邪馬台国の所在地を明らかにすることではない。

この2点を基本姿勢としています。


三国時代の地図表記について
番組中、何回か中国後漢時代~三国時代の、後漢や魏・呉・蜀の勢力圏を示した地図のCGが出てきますが、これはあくまで大まかな勢力圏を表したもので、領土図などではありません。近代的な国境概念のない時代なので厳密な線引きが不可能であり、また後漢末から三国時代にかけては豪族勢力の統廃合がめまぐるしい時代なので緻密な領土図作成は不可能だからです。
番組では高等学校の教科書をベースに細かい点では今回のゲスト大庭脩氏の指導をもとに作成しました。
その他文字の読み方や表記等、各論あるものに関して
基本的なものについては教科書に、特殊なものや教科書に出ていないものについては出演者の大庭脩さんの指導に拠りました。

邪馬台国の所在地に関して(吉野ヶ里遺跡とホケノ山古墳について)

Q 「吉野ヶ里遺跡」を紹介していたが、吉野ヶ里イコール邪馬台国なのか。
A  研究者の中には、吉野ヶ里が邪馬台国であると主張する人もいるが、定説ではない。

Q 「吉野ヶ里遺跡」は邪馬台国と同時代の遺跡か
A  佐賀県教育委員会の見解では吉野ヶ里は弥生前期から後期にいたる長時間栄えた集落であり、吉野ヶ里末期の一時代が邪馬台国の時代つまり2世紀後半~3世紀と重なるとのことです。これについては、土器の編年(弥生式土器の様々な様式が実際の歴史年代のいつにあたるか)についての細かな議論から異をとなえる研究者もいますが、おおむね「吉野ヶ里の末期が邪馬台国に重なる」との説が一般的です。

Q 奈良の「ホケノ山古墳」を紹介していたが、邪馬台国は奈良にあったのか。
A ホケノ山古墳や5月の勝山古墳の発掘調査で、前方後円墳の登場の時期が従来考えられていたよりも早く、3世紀初頭ごろにさかのぼるとの学説が出てきました。 この説によると邪馬台国の同時代に大和政権が発生していたことになります。 これは奈良県立橿原考古学研究所の調査に基づく学説ですが、奈良県桜井市の一連の古墳群が邪馬台国の時代に成立していたとしてもそれが邪馬台国であるかどうかについてはまだ定説がありません。

Q 「ホケノ山古墳」は前方後円墳ではないのではないか
A いわゆる定型的な前方後円墳の原型と考えられています。石室も定型的な竪穴や横穴 式石室ではなく「石囲い式木槨(いしがこいしきもっかく)」という他に例のない特殊 な構造のものです。 番組では橿原考古学研究所の資料にしたがい前方後円墳の一つとしました。


「邪馬台国(やまたいこく)」か「邪馬壱国(やまいちこく)」かについて

Q 「魏志倭人伝」には「邪馬台国」ではなく「邪馬壱国」とあるのではないか
A  台を壱と写し間違えたとするのが一般的ですが、「邪馬壱国」でも間違いではありません。番組では教科書の表記に従いました。


「壱与(いよまたはとよ)」等「魏志倭人伝」中の、人物の呼称について
「台与(とよ)」か「壱与(いよ)」か、又は「狗奴国(クヌコク)」かクヌコクかについても諸説がありますが、教科書、又は「筑摩文庫版 正史三国志 魏志倭人伝」の読み方に従いました。もちろんこの読み方が唯一絶対の正解というわけではあり ません。
「宗女壱与(イヨまたはトヨ)」の位置づけについて
吉川弘文館「国史大事典」に従い、卑弥呼の親族の娘としました。  
魏の使者は邪馬台国に来たか
魏の使者は、九州北部海岸又は朝鮮半島で倭国の使節に印を渡し、邪馬台国には来ていないとの説がありますが、出演者の大庭脩氏によると、「古代中国では権威をあらわす印綬(いんかんとくみひも)は皇帝の使者が直接諸国の王に手渡すのがルールであるので、使者は邪馬台国に来ていた」とのアドバイスがあり、魏の使者が邪馬台国まで来たとしました。
後漢の地図の表記について
漢時代の漢王朝の勢力を表した地図の多くでは、朝鮮半島全てを漢が支配していたように記されていますが、後漢末になると公孫氏や高句麗の台頭でその支配は半島北部あたりまでに限る方が厳密であるとの大庭氏の指導により、朝鮮半島での後漢の勢力は控えめに表しました。この他、魏・呉・蜀、公孫(こうそん)氏の勢力表示は大庭先生の指導に依拠しています。
卑弥呼が魏に使者を送った年について
魏志倭人伝には景初2年(238)とありますが、現行教科書をはじめ多くの文献が「景初3年(239)の誤り」としており、大庭先生もその意見です。 景初2年は遼東半島で魏と公孫氏の戦争中であり、魏に使者を遣るのは不可能との根拠です。今回はこの定説に従いました。 VTRの流れに沿った著作権情報など
頭蓋骨
鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡出土
三国志の合戦の映像
中国のドラマ「三国志」による
日本画「卑弥呼」
安田靫彦画、滋賀県立美術館所蔵
紀元前一世紀の日本の記述
「漢書地理志」
金印「漢倭委国王印(かんのわのなこくのおう)」
国宝、福岡市博物館所蔵
唐津市でみつかった銅鏡
「流雲文縁方格規矩鏡(りゅううんもんえんほうかくきくきょう)」
桜馬場遺跡出土、佐賀県立博物館所蔵 0952-24-3947
展示はされていません
曹操、劉備、諸葛孔明など三国志登場人物の絵
「歴代君臣絵図」より 関西大学図書館所蔵
大量の人骨が出土し、「倭国大乱」と関係があるとも見られる遺跡
鳥取県青谷町(あおやちょう)の青谷上寺地遺跡。
詳しくは青谷町まで
0857-27-6711
インタビュー出演者への問い合わせは郵便で
吉野ヶ里遺跡 佐賀県神崎町吉野ヶ里歴史公園
インタビュー 高島忠平さん(佐賀女子短期大学教授)
〒840-8550佐賀市本庄町大字本庄1313
ホケノ山古墳 奈良県桜井市、一般参観可
インタビュー 河上邦彦さん(奈良県立橿原考古学研究所調査研究部長)
〒634 奈良県橿原市畝傍町1
纏向遺跡
桜井市埋蔵文化財研究所で土器が観覧できます
0744-42-6005
インタビュー 石野博信さん(徳島文理大教授)
香川県大川郡志度町堂林
公孫氏と関係あるとも見られる鉄の太刀
大阪府立弥生文化博物館でレプリカが展示されています
〒594-0083 大阪府和泉市池上町443
0725-46-2164
インタビュー 金関恕(かなせきひろし)さん(大阪府立弥生博物館館長)

「倭と韓国が帯方に属した」の記述
三国志魏誌韓伝にあります
魏の国が諸民族に与えたと考えられる印
(文字「魏烏丸率善邑長(ぎうがんそつぜんゆうちょう))
寧楽美術館所蔵:奈良市 0742-22-2173 又は25ー0781
山梨でみつかった呉の鏡
(赤烏年銘境<せきうねんめいきょう>)
山梨県三珠町の鳥居原狐塚古墳出土、実物は東京国立博物館所蔵、観覧不可
複製が三珠町文化資料館にあります 
0952-53-3902
兵庫県でみつかった呉の鏡(赤烏年銘鏡<せきうねんめいきょう>)
兵庫県宝塚市安倉高塚古墳出土、兵庫県立歴史博物館所蔵
0792-88-9011(姫路市)
終盤で写る古墳
大阪府堺市仁徳天皇陵
 

■色彩

彩色

■字幕

部份日语字幕

■音声

日语

在庫

■价格

DVD 1 张 12 元 (可在DVD机和电脑上播放)

■联系方式

13847130004(电话或短信) 0471-6676771(电话或传真)

电子邮箱  rbyjp@yahoo.com.cn   125030161

购买方法

购买方法


关闭该窗口         全部<その時歴史が動いた>DVD
 
 
 

|今日日本|都市风采|翻译专栏|人生精典|日语课程|列岛趣闻|日本电影和剧本|历史上的今天|人与社会|日语mp3|首页|