その時歴史が動いたDVD第68回 キリシタン女性 関ヶ原合戦をゆるがす~細川ガラシャの悲劇~日本NHK纪录片 

 

日本NHK纪录片

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その時歴史が動いた  DVD

第68回
キリシタン女性 関ヶ原合戦をゆるがす
~細川ガラシャの悲劇~ 

松平定知 アナウンサー
番組概要
その時:慶長5年(1600)7月17日
出来事:細川ガラシャ、石田三成の人質になることを拒み、自害
  絶世の美女といわれ、謀反人・明智光秀の娘として戦国の荒波に翻弄された細川ガラシャ。そのガラシャが思わぬ形で関ヶ原合戦の帰趨を左右することになった。
 主君信長を討った明智光秀を父に持つガラシャの人生は、苦難の連続だった。ガラシャは心の平安を求めてキリスト教に入信する。
  しかしその平安も長くは続かなかった。関ヶ原の戦いが近づく中、西軍・石田三成は大名たちの家族を人質にする計略をたてる。標的にされたガラシャ。しかしガラシャは囚われの身となることを拒み自害。三成の計略は失敗し、逆に東軍に有利に運ぶ結果となる。
 近年、オーストリアのウィーン国立図書館で、細川ガラシャを主人公にした17世紀の音楽劇の楽譜付き台本が見つかった。そこでは強い意志を持つガラシャの生き方が賞賛されている。 イエズス会に残る宣教師の資料やガラシャの手紙、ガラシャの侍女の覚書などを基に、強い意志と決断力を持った細川ガラシャの生き方と、死の選択の悲劇を描く 。
番組の内容について
その時:
慶長5(1600)年7月17日。細川ガラシャが命を絶った日。
場所:
大坂城公園、天守閣前
大坂城公園管理事務所 (06-6941-1144)

KKRホテル3F「曙の間」にて収録
大阪市中央区馬場町2-24 06-6941-1122

細川ガラシャ 肖像
(堂本印象記念近代美術振興財団)
ガラシャ誕生について
ガラシャが生まれた永禄6年は、父の明智光秀が朝倉氏に仕えていたと伝えられてい る。その為、朝倉の領地、福井県福井市がガラシャの誕生地と考えられている。 映像は、福井市の一乗谷付近。
ガラシャの本名について
ガラシャの本名については、「玉」「玉子」と二通りある。国史大辞典によると、 「玉子」となっており、それにならった。
明智光秀が信長に仕官した頃
信長が京都入りする前後に仕官したと考えられる。
映像では、「岐阜城」が映ってい る。
勝龍寺城(ガラシャの結婚した地)
京都府長岡京市勝龍寺13。細川氏の城で、現在「勝龍寺公園」になっている。
「本能寺の変」後、明智光秀が細川家に依頼したくだり
細川家の歴史書「細川家記」(綿考輯録の中にまとめられている)による。 映像で映っている表紙は、「綿考輯録」。
「共に暮らすことはできない」
「細川家記」(綿考輯録)の記述による
ガラシャが幽閉された場所
京都府竹野郡弥栄町味土野。標高400メートルの山中、女城跡に「細川忠興夫人隠 棲地」と記された碑が立っている。
大坂の細川家屋敷について
屋敷跡と考えられる場所に「越中井」と記された碑が立っている。
大阪府大阪市中央区森ノ宮中央2。
大坂に戻ったガラシャの生活について
「イエズス会日本報告集」による
キリスト教の広まり
「南蛮屏風」神戸市立博物館所蔵
ガラシャが初めて訪れた大坂の教会
フロイスの「日本史」の記述による。また故松田毅一博士の説においても天満付近に 教会が建っていたとされる。現在、教会は残されていない。
ガラシャが初めて教会を訪れたくだり
内容は、「イエズス会日本報告集」による。
指導していただいたのは、京都外国語大学講師 東光 博英氏。
ガラシャが子供たちを養育していたくだり
「16・7世紀イエズス会日本報告集」Ⅰ期3巻247ページ 1599-1601.日本諸国期(フェルナン・ゲレイロ)による。
ガラシャの侍女たちが迫害をうけたくだり
「イエズス会日本報告集」の記述による。
秀次の事件に忠興が疑われたくだり
「細川家記」(綿考輯録)、「イエズス会日本報告集」の記述による。
忠興とガラシャによる自害にまつわるくだり
「イエズス会日本報告集」の記述による。
慶長5年7月12日
石田三成が、大阪城下の大名の妻子を人質にとる作戦を実行に移した日。「細川家 記」「霜女覚書」に、12日に三成の命を受けた尼が細川屋敷を訪れ大阪城に人質と して出向いたことを伝えたている。
慶長5年7月17日
石田三成が、長束正家・増田長盛・前田玄以の3奉行の連署をもって徳川家康の罪状 13箇条を数え挙げた「内府ちがひの条」を家康及び諸大名に送り、参加を求めた。 この前日、細川家に使者が訪れ「明日押し掛ける」と脅しをかけ、翌日の17日に兵 が屋敷をとりかこみ実力行使にでた。
関ヶ原合戦後の細川忠興
忠興は、大坂で盛大なキリシタンの葬儀を行った後、慶長6年(1601)年豊前を 領地とし、ここでもキリシタンの葬儀を行う。忠興が小倉城下に建てたとされる「南 蛮寺」にあったとされる鐘が永青文庫に所蔵されている。1620年には忠興は隠居 し小倉の中津城に移り、その後細川家が熊本に移ると同時に熊本の八代城へ移りすむ ようになった。
※忠興は、家康によるキリスト教の禁止令が出された後には、その命令に従うように なる。
泰勝寺跡
熊本県熊本市黒髪4。
熊本市立田自然公園内(096-344-6753 一般公開されている。 ガラシャの墓は、遺骨が細川家の菩提寺崇禅寺(大阪市東淀川区中島5)に埋葬、後 に泰勝寺にも墓が移された。
(新発見の資料に関して)
Dr.Fumiko Niiyama-Kalicki (=新山冨美子氏。発見、出版者)により、国立図書 館で発見された。問い合わせに関しては直接ご本人へ。
Bujattigasse 15a/2/11A-1140 Wien
Tel. & Fax : 0043 -1-967 09 96
fumiko_niiyamakalicki@hotmail.com
高山右近らを題材とした劇の調査研究に当たる中で、発見されている。
2000年11月には、DT_ Bd.152として研究本が刊行。イエズス会劇『Mulier Fortis (気丈な婦人)』は、「オーストリア音楽集大成」という、由緒ある音楽全集に収め られてある。
(新山氏)
楽譜発見後1993年にザルツブルクのベネディクト会女子修道院ノンベルク における中世の音楽生活に関する論文で哲学博士号を取得。1993年よりザルツブルク 大学付属ザルツブルク音楽史研究所所員として活動されている。
(上演された日)
『Mulier Fortis(気丈な夫人)』は、ガラシャの没後98年後の1698年7月31日(聖 イグナチオの聖名祝日)に宮廷内のホールで、皇帝レオポルト1世(在位1653-1713) の妃エレオノーレ・マグダレーナ・テレジアの聖名祝日(7月26日)を祝して上演され た作品。
(物語に関して)
台本は当時のギムナジウムの教授ヨハネス・バプティスト・アドルフ、音楽はイエズス 会教会の楽長ヨハン・ベルンハルト・シュタウト(1654-1712)による。全体はプロ ローグとエピローグを持つ3幕構成で、シンメトリー構造となっている。総勢56人に よって上演されるこの劇は、ガラシャや「野蛮な王」(=細川忠興)や侍女などの会 話によって進行するが、合唱(丹後の若者による4声の合唱)やソロ・アリア(登場 人物は、不変さ、怒り、無常、後悔などすべてアレゴリー)、器楽曲(楽器編成は、 クラリーノ2、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、コントラバス1、通奏低音)やダンス (たとえば忠興凱旋の場面)が合間に挿入される。
17世紀のウィーンでは、ハプスブルク家が政治上の宣伝手段としてイエズス会を強く 後援したため、皇帝宮廷内に設置されたイエズス会ギムナジウムのホールで音楽付き の劇が、ハプスブルク家後援のもとで盛んに上演された。
昨年刊行された『Mulier Fortis』には、新山氏らの楽譜校訂、ラテン語テキストと そのドイツ語対訳の他、トーマス・インモース元上智大学教授によって宗教的な背 景、またウィーン大学演劇学の教授マルグレート・ディートリヒによって演劇上の問 題についての詳細な論考が収められている。
 

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